同年代の農家の友人と、今年のコメの出来について話した。質も量も、近年にない良い年になりそうだと日焼けした顔をほころばせる彼が、「だけどさ」と真顔になって言う。「他人事じゃないよな」と。東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染のとめどない拡散についてである。原発を受け入れるリスクの代償として様々な物質的、金銭的恩恵を受けた「地元」から五十㌔も、百㌔も離れた、何の因果もないはずの農家が、放射能汚染の測定結果に神経を尖らせなければならない事態。原発の「安全神話」は完全に破綻したと言える。
わが北海道の高橋はるみ知事が、東電福島第一原発の事故後、定期検査中の原発としては全国で初めて、営業運転の再開を容認した。これまでの報道でご存知だろうから詳細は省くが、知事と国・経産省とのやり取りは、どうひいき目に見ても、「私は、道民の安全を一番に考えている」と吹聴するためのポーズだったとしか映らない。
定期検査のため停止していた泊原発三号機は東日本大震災が発生する四日前の三月七日に再稼動し、調整運転に入り、現実的には営業運転と同じフル出力で「稼動」していた。知事がこだわったのは「営業運転への移行が、再稼動に当たるかどうか」。国が「継続運転」だと認めれば、自らが「再稼動」を判断したという責任を逃れられる。さすがは、元お役人である。
また、経産省が「三号機の営業運転への移行は、再稼動に当らない」と回答した直後、北電が原子力安全・保安院に最終検査の申請をした際には、「地元軽視だ」と反発して見せたが、要は、「私の、道民に対する立場や出番を考えて進めてもらわなければ困るじゃない」とダダをこねて見せただけのことではないのか。
(工藤 稔)
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