高校を卒業して上京し、予備校に通っている頃だから、もう四十五年も昔のことだ。横浜に住んでいる叔父の趣味のお供で、米軍横田基地に飛行機の写真を撮りに行ったことが何度かある。横田基地は、沖縄以外では国内最大の米軍基地だそうだ。当時、米国はベトナム戦争にのめり込んでいて、横田の滑走路ではファントム戦闘機が訓練飛行を繰り返し、軍にチャーターされた日本では見たことのない米国民間航空会社の旅客機が離発着していた。叔父の話によれば、軍人やその家族を乗せて、米国内の空港から直接、この飛行場に乗り入れている。ベトナムで戦死した兵士の遺体も、日本の行政権が及ばないこの基地を経由して米国に送られるとのことだった。
有刺鉄線で囲まれた基地のすぐそばに建つビルの屋上が叔父の目指す場所だった。目の前に滑走路が伸び、頭上を戦闘機や軍御用達の旅客機が飛ぶ。ファントムが着陸態勢から、もの凄い爆音を轟かせ、再び速度を上げて離陸して行く「タッチ&ゴー」の訓練。叔父は、巨大な望遠レンズを装着したカメラを構え、飽きずにシャッターを切る。その横で、十八歳の僕は、耳栓をしている耳を手で覆って爆音に耐える。戦闘機の気が狂いそうになる爆音に比べて、図体は大きくても旅客機のエンジン音なんて可愛いものだと、この時に知った。
就職した会社の社長のカバン持ちで沖縄に行ったのは、一九七五年(昭和五十年)だった。その年の春、ベトナム戦争は南ベトナム・米国の敗戦で終結していた。沖縄は日本に返還されて三年も経っているのに、まだ車が米国と同じ右側通行だったのを不思議に感じたことを覚えている。そして、商用で訪ねた取引先での突然の爆音。コンクリートの建物が振動し、会話は全く不可能になった。嘉手納の米軍基地を離発着する米軍の戦闘機が、その町の真上を通るという話を、爆音と振動が収まってから聞いた。米軍機は昼も夜も、深夜も、お構いなしに爆音を轟かせて飛ぶ。「いつの間にか、大きな声で話をするようになりました」と取引先の主は言った。申し訳ないけれど私はここには住めないな、病気になるな、と思ったのを忘れない。
十六日に行われた沖縄知事選挙で、前那覇市長の翁長雄志(おなが・たけし)氏(64)が三十六万票余りを獲得して当選した。政府が進める米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設が最大の争点で、移設に反対する翁長氏が政府・自民党の全面支援を受けた現職の仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)氏(75)に十万票近い大差を付けて圧勝した。
一月に行われた名護市長選挙でも、移設に反対する稲嶺進市長が再選を果たしている。沖縄県知事と移設先の名護市長、つまり当事者二人が選挙で明確に反対を掲げ、選挙民は「辺野古に基地はつくらせない」を選択をしたわけだ。
新聞各紙は、沖縄基地負担軽減担当大臣を兼務する菅義偉官房長官が知事選の勝敗は意に介さないという態度をとったと報じた。十八日付の毎日新聞を引用すると――

(工藤 稔)

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