二年前に逝った先輩の言葉を思い出している。昭和十五年生まれ。報道の世界に半世紀近く身を置いた、色んな意味で畏敬する存在だった。亡くなる前、第二次安倍政権が、選挙では「経済第一」と叫び、圧勝すると「民意を得た」と憲法改正に向けた地ならしを粛々と進める、そんな情勢を話題にしながら飲んだときのこと。何度か、同じ店で、似たような話をしながら飲んだのだった。

 ――まさか、憲法改正が現実味を帯びるようになるとは、思いもしなかった。「九条を守れ」なんて叫んでいる連中を被害妄想じゃないのかって、正直、鼻で笑っていた。仲が良かった筑紫ちゃん(二〇〇八年に亡くなった筑紫哲也さん)の護憲論だって、大袈裟じゃないのかって冷やかしたりさ。戦争の時代を肌で知っているオレたちの世代が目の黒いうちは、日本が戦争が出来る国になるなんて、あり得ないって信じてた。だけど工藤ちゃん、オレ、間違っていたかもしれんな。自衛隊が日本軍になって、海外に出て行く時代が、すぐ目の前に来てるんじゃないか。やばいよ、安倍は。

 先輩が危惧した「やばさ」は、この二年でますますその度を増す。現職の稲田朋美防衛相が「教育勅語の核は取り戻すべきだ」(三月八日、参院予算委員会)と発言して恥じないほどに。そうした稲田大臣の政治信条は、自らが経営する幼稚園の園児に教育勅語を暗唱させていた「森友学園」事件に関連して明らかになった。この事件が起きなければ、これほど異常な教育をする幼稚園が日本にあることも、その幼稚園が小学校を開校しようと準備していることも、多くの国民は知らなかった。もちろん、私たちの国の総理大臣の夫人が、その小学校の名誉校長を務めていて、総理大臣ご自身が、「(森友学園の籠池泰典理事長は)私の考え方に非常に共鳴している方」「妻から森友学園の先生(籠池泰典)の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」と称賛する場面に接することもなかった。

 毎日新聞三月二十九日付「特集ワイド」が「最近話題の『教育勅語』肯定論は…」「歴史修正主義と表裏一体」の見出しで、教育勅語を分かりやすく解説している。記事によれば、明治期ですら教育勅語の内容について、政府内で問題視され、改定が議論された、と日本教育史が専門の小野政章・日本大教授は解説し「それを今に至って政治家が称賛するとは…」と絶句しているというのである。教育勅語が出た四年後に文相になった西園寺公望は、東京師範学校での訓示(一八九五年四月)で勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を進め…」と批判し、「女子教育を充実させ…外国人に親切に」などと書き込んだ「第二次教育勅語」の草案を書いたのだそうだ。実際に明治天皇自身が西園寺の指摘を受け入れて、草案の起草を命じたのだが、西園寺の病気で実現しなかったという。

 

(工藤 稔)

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