以下は、現役の市職員が十一月二十九日に、フェイスブックに写真とともに投稿した文章。「想像力」というタイトルが付されている。彼は赤レンガ市庁舎の解体に反対する立場で書いているわけではないことは承知の上で、枕に使わせてもらう(14面に関連記事)。
――昨日の旭川旧庁舎の様子です。解体作業が進められ、新庁舎からはこのような景色。役所にお世話になって25年以上、ここで仕事をさせてもらったのは10年にもなりません。出向や東京、外の庁舎が多かったので。
旧庁舎の解体は計画的に行われ、暴力的な破壊ではありません。議論はあるでしょうが、平和裏です。それでも、いろいろな思い出があり、歴史があり、象徴でもあったので、この状態を見るのは、気が滅入る。やっぱり切ない。
計画的に、そして平和裏に行われてなお、こんな気持ちになるのだから、これが突然に、そして暴力的に大事な場所が破壊され、奪われたとしたら、どれほど心が辛いだろう。
ウクライナやレバノンに思いを馳せる。人は想像力という奇跡のような能力を持ってこの世に生まれてくる。その想像力を少し働かせれば、どれだけ辛いか、正確には想像出来なくても、自分よりよほど辛いことは想像出来るだろう。
想像力を働かせれば、戦争や、いじめ、詐欺、暴力……それを思いとどまることが出来るはず。正義、自己満足、物欲、見栄、孤独……それらも想像力の産物なのに、相手の痛みを思いやる想像力を曇らせる。
想像力を正しく働かせられる。それが、学ぶということの意味なのかもしれない。(引用終わり)
昨日、新庁舎六階から撮影した写真が上。解体工事はかなりのスピードで進んでいることがわかる。今年のうちに地上部分の建物は消えるそうだ。
小欄で何度も書いたから、これでやめるが、この歴史的にも文化的にも相当の価値を有する建物を「どうしよう」という議論をもっとするべきだった。市職員のごく一部の発想や想像力ではなく、もっと幅広い市民の声を聞くべきだった、と思う。
旧庁舎の解体が正式に決まる前だったと記憶する。複数で話していて誰だったか忘れたが、「中央公民館って、かなり古いよな。規模も小さいし、あの場所も“中央”って言えるのかどうか。近々建て替えるんだろうから、赤レンガ庁舎を耐震改修して使えば良いんじゃないの?」という意見が出た。
(工藤 稔)
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