八月六日号の小欄は、「市民を面白がらせてほしいんですけど、西川市長」の見出しで書いた。そのさわりは――

 「私は頭が固いから、さほどのアイディアは浮かばないが、それでも大きな木は製材して公園のベンチとして再生させるとか、小さな木は、子どもたちの図工の材料として活用するとか、木の命が“つながる”方法を思い浮かべることができる。市内には、頭の柔らかなアーティストがたくさんいる。そんな人たちを巻き込んだら、どんな素敵なことができるか、想像するだけでワクワクする」

 読者から、メールが届いた。紹介する。

 「恩恵を与え続けてくれた木に対する感謝の気持ち」。そのアイディアの一つとしての伐採された木の活用。いい話。ホントに大事なことと感じます。

 「ホントに」と強調したのは、こうした記事を読んだりすると、気がつくけど…、普段は気が回らない、そこまで気づかないことが多いからです。

 いつの時代にも「無くしたくない気持ち」があります。しかしながら、改めて思うと、全般的にそうなってしまってるような気がします…。こうしたこと以外にも、広く全般的に、「気づかない」というか、「考えない」みたいになってしまってるような気がします。麻痺ですかね?

 では、どうしたらいいか。気付いた人がまず言うことがあります。新聞やメディアは、こうした「気づかせる人」です。身の周りの人でもいいんですが、メディアなら、多くに呼び掛けられます。

 こうしたアイディアが次回にどう繋がったかとか、地域の人にも聞いた実態も興味深いです。ある人は「そうだ」と共感したり、あるいは実行に繋がればなおいいし、逆に、「危ないなら切ればいいしょ」くらいの意識の人、あるいは、「関心なし」も含めて。

 「関心なし」に従う必要はないんですが、リードすることも必要です。いいことは、きっといい結果に繋がるんでしょうが、実態把握も大事なことと思いました。

 メディアは「気づかせる人」です。時には深堀りして、「考えさせる人」にも。今後もよろしくお願いします。

 もう何年も前のことだからはっきりと記憶しているわけではないのだが、妙に納得できた話だから、思い出しながら書いてみる。話の主は、今は東川に住んでいる、写真家でエッセイスト、獣医師の竹田津実さんだ。講演の中でこんな話をした。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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