この方の作品は、恥ずかしながら一作も読んだことがない。札幌にお住まいで、主に推理小説を書いている、私とほぼ同年代、くらいの知識。北海道新聞一月二十五日付朝刊の文化面「『北海道とは』考」に、「安っぽい思い込みにとらわれず きちんと現実見つめたい」という、いささかありきたりのタイトルで掲載された東直己氏の一文に、はたと膝を叩いた。氏は、ケニアで毎年熱気球に乗る人の言葉を借りて、「大陸的な雄大な眺め」と表現される北海道の風景について、「大陸の本物の雄大さを知らないから、あんなショボイことを言う」。

 また、「道民は進取の気質に富み、パイオニア精神やフロンティア精神に満ちている」と自画自賛する私たち道産子について、「室町幕府末頃から、蝦夷地は食い詰め者どもの吹き溜まりだったと聞くが? あくどい者たちがおっとりした人たちを食い物にして、薄汚く稼ぐ世界。明治以降はお上の補助金や一時金や公共事業にタカって食いつなぎ、お上にぺこぺこ癒着して金を恵んでもらう、そんな人々が主流だった世界が北海道なんじゃないの?」と切って捨て、自らの出自をも「祖父母の親はきっと、食い詰めた挙げ句、御下賜金目当てに札幌に流れ着いた人間で…」と書く。

 「北海道」についての、慣用句や修飾のほとんどは嘘っぱちだが、「北海道生まれの北海道育ちとは」「北海道人とは」でくくることが出来る共通の考え方の顕著な例として、本州のツキノワグマを我がヒグマと対比させて、軽んじる精神ではないか、と断じる。氏は書く。「たとえば長野県の山村で、八十何歳かの老人が、熊に襲われ、鉈ひとつで応戦奮闘、全治二カ月の重傷を負ったものの、熊を撃退したというニュースがあると、ほとんどの北海道人は、『だぁ~って、月の輪熊だろぉ~?』と、半ば軽蔑した感想を漏らす」と。

 まさに、氏が指摘する「月の輪熊なんか、羆に比べたら、犬だべや」の物言いを、私も現実に家人の前で堂々とやらかしている。東京生まれの家人は「でも、八十歳のおじいさんよ。ツキノワグマだって、クマじゃない。おじいさん、すごいよー」と、ツキノワグマと重傷の老人の肩を持つのだが、「しょせん、月の輪熊、話にならんさぁ」なんて、ツキノワグマとヒグマを差別することで、道産子としてのアイデンティティーを確認するがごときなのである、我ながら。

 で、東氏は、タイトルにある「安っぽい思い込みにとらわれることなく」、リアルな仕事をしようと、自戒の念を表明している。多分、新年にあたっての抱負として書かれたエッセイなのだろう。

 似たような気分を、前週書いた九州旅行で味わった。繰り返しになるので、旅の経緯や目的などは省く。九戸の農家でつくる農業法人「西神楽夢民村」の社員らの一行三十人と三泊四日で、宮崎、熊本、大分、佐賀、長崎の集団営農や農家レストラン、直売所などを巡る研修に同行させていただいた旅の印象を少々。

 旅の三日目、大分県日田市の「大肥郷ふるさと農業振興会」におじゃました。代表を務めるのは、この地で生まれ、会社勤めの間は、三反半の所有地を知人に頼んで耕してもらっていた七十七歳の森山有男さん。定年退職後、自ら耕す必要に迫られた。見渡せば、故郷の農地は、高齢化と離農によって、荒廃の危機にあった。このままでは、地域の農業だけでなく、集落そのものが崩壊する瀬戸際にあると、九八年(平成十年)、十六集落、百二十三戸の農家をまとめ、共同営農の組織を立ち上げた。

 北海道との大きな違いは、各農家の耕作地が極端に狭いこと。例を挙げれば、それまで個々に耕してきた小さな水田を基盤整備して造成した一・七ヘクタールの水田には、実に八人の地権者がいる。「五反百姓」という言葉があるが、この地域は「二反・三反百姓」がほとんどだそうな。サラリーマン時代、それなりの役職に就いていたのだろう、誠実な言葉遣いにユーモアを交えながら、森山会長は語る。「純粋な兼業農家の地域です。だから、若い時は外に出て働け。歳をとったり、リストラや派遣切りにあったら、ここに戻って来いって言うんです。そのためにも、農地を荒らさないこと、そして年収五百万円にはなるような、働く場を作っておかなければ」と。

 北海道の農家の多くは、私が見聞きした範囲ではあるが、道路やダムや宅地開発で土地が高く売れるとなれば、さっさと売り払って、息子や娘がいる都会に出ていく。息子や娘がいなくても、農村を捨てる。もちろん、様々な事情がそうさせるのだろうが、土地を去る。東氏が言うように、食い詰め者、流れ者の血のなせるわざなのか、自分自身の来し方を振り返っても、そう思えないこともない。

 九州の細く、ぐにゃぐにゃ道、山坂を幾つも越えた、杉林に覆われた谷間、日照時間も少ないであろう一反にも満たない田んぼが段々に連なる風景の近くには必ず、瓦を反り返らせた屋根を持つ、お寺のような家が建つ。あちらの斜面にも、こちらの谷にも。ここに暮らす人たちは、三百年も、四百年も、恐らくもっと以前から、この不便極まりない、狭い土地を守り、代々受け継いで来たのに違いない。だから、給料取りになって一度は村を離れても、定年になったら、この地に戻り、土地を耕し、家を守るのだ。血がそうさせるんだ、そう思った。

 開拓が始まって百二十年か、せいぜい百五十年か。ヒグマにアイデンティティーを求めるしかない北海道人は、いま、歴史を作っているのだろう。血につながる、郷土と言える地を、私たちの世代が作っている、広い意味で耕しているんだ。三泊四日の九州の旅で強く感得した、私の「北海道とは」だった。

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