前週の本欄「井上靖の書斎移設について思う」を読んだ数人の方から電話をいただいたり、お会いして話をうかがったりした。それらのご意見やご助言を受けて、改めて、旭川市立井上靖記念館が生前の氏の「書斎」を譲り受けることについて考えたい。

 一九九三年(平成五年)にオープンした井上靖記念館には、文豪と呼ばれた氏の直筆原稿や初版本、執筆のために収集した資料などのほかに、愛用した万年筆や洋服などが常設展示されている。それら展示品の中に、氏の遺族から寄託を受けているものが数多くある。陶芸家で人間国宝・近藤悠三作の湯のみ、同じく河井寛次郎の手による灰皿、小説家・詩人の佐藤春夫の色紙、氏がシルクロードのバザールで買い求めた石仏や壷などなど。これらは開館時から、年に三十万円の謝礼を遺族に払い、借用して展示しているのだという。

 市が記念館の敷地内に建物を新築し、東京世田谷の井上邸から移される予定の座卓や書棚、応接間のテーブル、椅子などの調度、数千冊の蔵書は遺族から市に寄贈される。記念館の担当者によると、これまで寄託されて展示している品々が、今後どうなるかについては、書斎移設が完了する二年の間に交渉することになるという。

 電話をいただいた読者の一人は、「公設の文化施設が、自前の収蔵品ではなく、いわばレンタルのものを常設展示しなければならないのは、貴方が書いておられたように、この館の誕生が、市民論議を経て、時間をかけて計画されたものではなく、当時の政治的な産物だという証拠の一つ。井上文学について云々とは別の次元で、私たち市民がこのまちの歴史や文化をどうのように捉え、次代に伝えていこうとしているか、今回の書斎移設を機に、もう一度しっかり考えなければならないと思う」と話した。

 また、井上文学のファンだという方は、「北海道新聞が一面で大々的に取り上げ、移築は万々歳みたいな論調で書いていたが、歴史上の人物の生家とか、書斎とか、ゆかりの品々というものは、マニアは別にして、私のような作品を読むのが好き程度の者にとっては、一度“拝観”すれば十分。ご遺族のご好意は有り難いですが、八千万円ものお金をかけて、旭川に持って来るのは…」と言葉を濁した。

 実は、前週の私の本論は、「井上記念館ばかりでなく、彫刻美術館、博物館、科学館、図書館といった文化施設の人事を抜本的に見直す必要がある」だった。

 一例を挙げる。彫刻美術館の館長を兼務する井上記念館の館長は、係長職である。その上司に、文化振興担当課長という方がいる。同じ館に机を並べて。私は、肩書きに重きを置く性向ではないが、それにしても「館長」と「担当課長」の名刺をいただいた時、一般的に、どちらを“上”と解するか。事実、先日取材に尋ねた折、私はてっきり館長が上司と勘違いした。

 同じく、文化会館やクリスタルホールにも「館長」はいるが、その上に担当課長がいる。こうした部外者にはトンチンカンと映る役職名を生んだのは、西川市長が一期目の成果と胸を張った「組織改革」の結果である。

 私は何も、組織上の肩書きだけを問題にしているのではない。館の長は、正しく長であるべきだと言っている。その道の知識も経験も資格も、興味もない職員を係長待遇、次長待遇ということで「あて職」のようにはめ込むのは、「北の文化の香るまち」が採るべき人事システムではないだろう、と言っている。はめ込まれる職員も迷惑だ。当然、モチベーションが上がるはずもない。

 旭山動物園の歴代の園長は専門職の獣医師、プロパーである。その積み重ねが、現在の旭山人気を生み出した。文化施設の長が、専門職であることの意味を端的に示すお手本だろう。だが、である。旭山が全国的な人気を呼び、来園者が飛躍的に増大した三年前だったか、四年前だったか、それまで次長職だった園長が、突然、部長待遇に格上げされた。確固たる理念も、長期的なビジョンもなく、場当たり的に組織や人事をいじる、市役所の「組織改革」とは、そも何ぞや――。

ご意見・ご感想お待ちしております。