四月十七日付日本経済新聞は一面トップで、コンビニエンスストアの大手五社が今年度、過去最高の出店を計画していると報じた。本欄で、幾度かコンビニの深夜営業は規制しなければならない、と書いた。その論拠の一つは、コンビニの電気消費量の多さだ。コンビニ一店が一日に消費する電気量は、平均的な家庭の二カ月分にも相当するという。東北大震災と原発事故で、東京をはじめとする大都市の住民は、食糧もエネルギーも、そのほとんど全てを地方に依存している現実を体感したはずだ。東京の電車もネオンも、福島県に住む人たちのリスクの上に成り立っているという事実を。

 映画「六ヶ所村ラプソディー」を観た。原発から出る使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場がある青森県六ヶ所村の人々、再処理工場に反対する人も、賛成の人も、その証言を丁寧に収録したドキュメンタリー。映画には、最近新聞やテレビで度々その名を目にする班目春樹・原子力安全委員会委員長も登場した。当時、東大工学部(原子力工学)教授の彼は、質問に答えてこんな話をしている。

 「原子力発電に対して、安心する日なんか来ませんよ。せめて信頼して欲しいと思いますけど。安心なんかできるわけないじゃないですか、あんな不気味なの」「最後の処分地の話は、最後は結局お金でしょ。どうしても、みんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃ、おたくには、今までこれこれっていってたけど二倍払いましょ。それでも手を挙げないんだったら、五倍払いましょ、十倍払いましょ。どっかで国民が納得することがでてきますよ」

 「原子力発電」とは、こういうことなのだ。過疎の、就職口もない辺鄙な町村の、漁師や農民のほっぺたを札束で叩かなければ、誰も、どこの自治体も、立地を受け入れはしないのだ。原子力発電というものは、その研究者が「安心なんかできるわけないじゃないですか、あんな不気味なの」と断言するほど、危険な代物なのだ。細々と、しかしまっとうに生きようとしている田舎者の目の前に金を積んで、田畑や漁場や、命までも差し出せと迫るのだ。その結果の「フクシマ」である。

(工藤 稔)

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