開会中の旭川市議会で、公正クラブの蝦名信幸議員が、代表質問の中で「ものづくり大学」について質問した。
少々復習すると、東海大学旭川キャンパスが「二〇一一年度を最後に学生の募集を停止する」と発表したのは二〇一〇年春。同大学は一九七二年(昭和四十七年)の開校以来、旭川を始めとする道北地域の多くの企業に卒業生を送り込んできた。特に、建築や家具、デザイン、印刷の分野に果たしてきた役割は計り知れない。
大げさではなく、もし東海大学が旭川になかったならば、旭川地域の家具産業は二十余年も昔、花嫁タンスの慣習が廃れる現象と機を一にして消滅していたかも知れない。この仮説は業界人も否定しないだろう。日本中の家具産地が衰退、消滅していく中で、旭川の家具産業がしぶとく生き延びて、今や世界から注目されるような高いデザイン性と技術力を獲得し得た幾つかの理由のうちの一つは、間違いなく東海大学旭川キャンパスの存在だった。
キャンパス閉鎖の発表に、強い危機感を持った中小企業の経営者らが、「旭川の地域性を活かした、ものづくり系の大学を、公立で設立できないか」と模索する活動を始めた。急速に進む少子化の流れの中で、私立大学の経営は全国的に厳しさを増している。一方で、道内だけを眺めても、過度の一極集中が進む札幌は別格としても、釧路や函館、名寄といった人口規模が旭川に著しく劣るまちが、市立や公立の大学を持ち、しかもその入学試験の競争率は三倍、四倍という人気なのだそうだ。わがまちに不可能なはずがないじゃないかと、「旭川に公立ものづくり大学の開設を目指す市民の会」が設立されたのは、二〇一一年八月のことだった。
(工藤 稔)
(全文は本紙または電子版でご覧ください。)
●電子版の購読は新聞オンライン.COMへ