九月十五日の小欄で、「『文春』のオゲレツ見出しに辟易しつつ、女性大臣抜擢の下心にゲロゲロ…」の見出しで、朝日新聞に対する、文春の「断末魔」や「死んだ日」の見出しについて、「新潮の見出し程度の自制心があっていい」と書いた。
同じような論旨で、あの池上彰さん(64)が九月二十五日号の週刊文春の連載エッセイ「池上彰のそこからですか!?」に、「罪なき者、石を投げよ」と題して「悪いのは朝日新聞だけですか」と文春などの週刊誌を含め、新聞やテレビの報道姿勢に…、違うな、体質について書いている。少し長くなるが、その要旨を引用しよう。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(新共同訳『新約聖書』ヨハネによる福音書より)
朝日新聞は、東京電力福島第一原発事故での吉田昌郎所長(当時)の「吉田調書」報道が誤報であったことを認め、謝罪しました。木村社長は進退にも言及しました。
この訂正・謝罪会見で、慰安婦報道の検証で謝罪しなかったことも謝罪。さらに私の連載コラム掲載見合わせについても謝罪しました。
この問題では、私が騒動の渦中に投げ込まれました。その渦中で想起した言葉が、冒頭のものです。(後略)
池上さんは、姦通の罪を犯した女性が石で打ち殺された時代、イエスの言葉を聞いた者は全て立ち去り、残ったのはイエスと女性だけだったとの聖書の一節を紹介し、次のように続ける。
朝日新聞は、私の連載原稿を掲載しない(朝日に言わせると、「掲載見合わせ」)という判断をしました。これに対する各マスコミの非難は大変なものでした。非難は当然とはいえ、その輪に加わっていた新聞社は、みんな「石を投げる」ことができるのでしょうか。(後略)

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

●お申込みはこちらから購読お申込み

●電子版の購読は新聞オンライン.COM

ご意見・ご感想お待ちしております。