三日号の小欄の末尾で、安倍晋三首相が繰り返し口にする「世界の真ん中で輝いていた日本」って、一体、いつの話なんだろう、と書いた。首相はまた、「誇りある、世界の中心で輝く日本を取り戻す」とも言う。それは、日本人が金にあかせてニューヨークのエンパイアステートビルを買収したバブルの時代なのか、それとも敗戦、焼け野原を蘇らせた戦後の復興期のことなのか、もしかして、天皇陛下が神様だった時代の日本ではないだろうな、と。
もしかしたら、やっぱり安倍首相が言う「日本が輝いていた時代」とは、一九四五年(昭和二十年)以前、中国を侵略し、真珠湾攻撃から東南アジアを植民地支配しようと試みた、あの時代のことを指しているのかも知れないなと、NHKのテレビニュースを見ながら思った。
十三日午後七時のニュースでは、アジア太平洋戦争が終結する前年の一九四四年十月、フィリピンのレイテ湾に向かう途中、アメリカ軍の攻撃で撃沈された、旧日本帝国海軍の戦艦武蔵がフィリピンの海の底で発見されたという映像を元乗組員の話や研究者の証言などを織り交ぜながら延々と映し続けた。確か九日午後九時のニュース9では、トップニュースだった。この時も、「世界最大級の戦艦」「船首の菊のご紋章」などと解説しながらダラダラと続いた。
一九五一年(昭和二十六年)生まれの私は、同世代の例に漏れずプラスチックモデルに熱狂した少年時代を送った。だから、戦艦武蔵のプラモも作った。武蔵に限らず、大和も、榛名も、戦闘機のゼロ戦や隼や飛燕のプラモも作って、友達と見せっこをして遊んだ。ひょっとすると戦時に少年・青年時代を過ごした世代よりも、旧軍の武器に詳しかったかも知れない。
(工藤 稔)
(全文は本紙または電子版でご覧ください。)
●電子版の購読は新聞オンライン.COMへ