人の名前を覚えるのが得手でないので紹介できないが、朝日の何とかいう女性編集委員と、この毎日専門編集委員・青野由利さんのコラムは、無意識のうちに二度、三度と繰り返し読んでしまう。何とも言えない「機知」とか「おもしろみ」があるのだ。例えば十七日付コラム「発信箱」はこう書く。

 ――ちょっとしたクイズを考えた。安保法案、原発政策、新国立競技場。この三つに共通しているものは何か。

 簡単すぎる? そうかもしれない。まず、誰でも思いつくのは「これほど多くの国民が反対しているのに、政権がまるで意に介さないまま進んできた点」だろう。(中略)

 未来志向とほど遠く、「そんなに昔に戻りたいの」と聞きたくなる点も似ている。原発は3・11の過酷事故前に。新国立は高度成長期の「大きいことはいいことだ」に。そして安保法案は海外でも武力行使できる国に。(中略)

 もうひとつ、「動き出すと止まらない。方向転換する勇気がない」も共通項にみえる。破綻している核燃料サイクルがやめられないのは、従来の制度や既得権益、つぎ込んだ資金などが絡み合っているため。新国立は、オリンピック招致の時に明言してしまったから。そして安保法案は、米国に「約束」したから?(後略・引用終わり)

 よほどの石頭の御仁でない限り、列挙された「共通項」に異論を挟めないと思う。かなりの度合いで事実なのだから。それでも、いずれも事は粛々と進み、既成事実化される。これが私たちが七十年かけて獲得できた民主主義だったのだと、暗たんたる気分になる。そしてこの程度の男と、その幇間的取り巻き連中どもに好きにやらせてなるものかと、ムクムクと怒りにも似た気持ちが湧き起る。それはこんな理由からだ。

 国会で五月二十日に行われた党首討論で、共産党の志位和夫委員長が日本の侵略戦争に関する歴史認識をただしたのに対して、安倍晋三首相は一九四五年のポツダム宣言を「つまびらかに読んでいないので承知していない」と答えて反響を呼んだ。その“おまけ”のような形で出て来たのが、首相が自民党の幹事長代理だった二〇〇五年、月刊誌「Voice(ボイス)」(PHP研究所)七月号の対談の記事。安倍幹事長代理は「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っている。

 ところが、ポツダム宣言が発表されたのは一九四五年(昭和二十年)七月二十六日。広島への原爆投下は八月六日、長崎は三日後の九日だ。全くの事実誤認である。

(工藤 稔)

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