「まちの祭りとかイベントとかいうものは、こうして育って、育てていく過程があるから、続くのだし、続けようという動機付けになるんだなあ」と、料理人たちが創作し調理した、それぞれの「ピンチョス」をいただきながらホンワカした気分になった。

 「旭川oh! ピンチョス」は七年前、函館で行われているイベント「バル街」を参考に始まった。主催するのは「たいせつ食の元気隊」という名の市民グループ。隊長は伊藤友一さん(60)。本業のデザイン会社を経営しながら、旭川ラーメンのファンクラブ「ラーメンバーズ」を立ち上げたり、全国規模の集会をプロデュースしたり、まちの賑わいづくりに汗をかいている方だ。

 今年の「旭川oh! ピンチョス」には三十七店が参加した。旭川や近郊、北北海道産の食材を必ず一種以上使い、和・洋・中を問わず、各店が創作した、手軽にピンや串で食べられる料理(おつまみ)とワンドリンクを提供するルール。客は、一冊三千八百円のチケット・マップを購入し、マップに掲載されたPRを参考に五店を選んで、ピンチョスを味わう。

 チケットは千冊作っているから、四日間で最低千人が、マップを片手にまちをウロウロする計算。信号待ちの歩道や入ったお店で、知らない者同士が「どこが良かった?」「これからあの店に行ってみる」などと情報交換する光景も珍しくない。

 三回目の参加というイタリアンのお店「ヴィーコロ」の店主、小林彰さん(36)は、この「oh! ピンチョス」に勇気づけられたと言う。二〇一一年、フクシマの原発事故で、家族を連れて千葉から自主避難して来た。三歳の子どもへの放射能の影響を心配してだ。妻の実家が帯広だったこともある。旭川を選んだのは、水がきれいなこと、そして食材に恵まれていることだった。

 「旭川のお店で働いて、三年前、このパリ街で開店しました。少し前までは、この小路って、ちょっと薄暗くて、怖い雰囲気もあって、お客さんは恐る恐るって感じで入って来ます。それに私は旭川に友達も知り合いもほとんどいません。ピンチョスに参加したことで、たくさんのお客さんが来店してくれて、それをきっかけに個人やグループで来店してくれたり、宴会をしてくれたり、本当に助けられました。大げさではなく、ピンチョスがなかったら、どうなっていたか、そう思います。ですからピンチョスの料理には、力が入りますよ」

 

(工藤 稔)

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