先日、日本年金機構北海道事務センターから、A4判サイズの封書が会社宛てに届いた。中には「70歳到達に伴う厚生年金保険被保険者資格喪失届等の提出について」と、かなり難解な標題の文書があった。

 今月で満七十歳になる。もしかしたら、いいことがあるかも知れない。そう言えば、年金をもらい始めた五年前、「七十になったら、仕事をしていて収入があっても、満額もらえる」と耳にした覚えがある。よし、年金事務所で聞いてみよう。

 予約の電話を何度かけても「ただ今の時間は混み合っています」と自動音声案内の声だ。午前と午後に合わせて七回かけたが、ついに繋がらなかった。家人に「直接行ってみたら? 意外に空いているかもよ」と促され、行ってみるとなるほどガラガラ。オフィスは緊張感ゼロの雰囲気。「社会保険庁の消えた年金」が問題になったのは、二〇〇七年だったか。政権交代につながる“大事件”だったが、組織の名称は変わっても、緩ーい体質はそのまま温存されたらしい。

 脇道に逸れた。結局、その日は翌週の相談予約をしただけで帰って来た。で、翌週。知りたかったのは「七十歳になってもらえる満額って、いくらなの?」である。教えてくれました。数字を見せられて思わず、「これで全部ですか?」と声を出してしまった。「会社から給料をもらわなくなったら、ひと月、これで暮らせというんですか?」と。

 相談員の女性は、困ったような、苦笑いのような、憐みのような表情で、「そうですね」と目を伏せた。六十五歳になる前、知人の社会保険労務士に相談した折、「七十歳になってもらえる年金は、恥ずかしくない額ですよ」と言われた。ところが、正直、この月収では恥ずかしいと思う。これで、月に一度か二度、三・六街に飲みに出るのは難しい。ちまちま貯めて、年に一度、出かけられれば御の字だろう。

 私たちが受け取る年金の額は、下がり続けている。〇四年の年金制度の改正で、政府は、年金額を徐々に目減りさせる仕組みに変えた。それまでは、年金の受け取り額を優先的に決めて、財源が足りなくなると現役世代が負担する保険料を上げていた。だが、高齢者が増え、働く現役世代が急速に減り続ける情勢が、それを許さなくした。はっきり言って、遅すぎた、付け焼刃の、まるで詐欺みたいな話である。そうだ、国による壮大な詐欺ではないか。

 年金手帳を見ると、私が被保険者になったのは昭和四十九年(一九七四年)七月とある。長男が生まれる一年前、東京の青果市場の仲卸の会社に就職したときだ。以来、いろいろあって、様々な仕事に就いたが、周りに多大な迷惑をかけながらも、まあまあ怠けないで、そこそこ汗をかいて、懸命に仕事をしてきた。途中、国民年金に替わったこともあるが、四十七年間、雇ってくれた会社ともども保険料を納め続けた。その報いが、仕事を辞めたら、次の日から貧乏になる老後である。

(工藤 稔)

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