二〇二三年、最後のコラム。歳をとると時間が経過するスピードが上がる、本当にそう思う。まだ体力にある程度の自信があった五十歳代の一週間が、いまや一日で過ぎる、そんな感覚。とすれば、すでに棺桶に片足を入れた状態なのかも知れない。大事に生きなくちゃあ。匿名の読者から、おそらく今月五日号の小欄に対すると思われるメールが届いた。件名に「感想です」とある。以下。

 ――いつも拝読しています。

 「編集長の直言」の旭川市立大学新学部にまつわる御指摘…そのとおりだなと思いました。

 当初、「デザイン都市旭川を引っ張る、ものづくり大学の新設」という、市民としてワクワクする話だったのが、いつの間にか、イチ私立大学の経営救済策に矮小化されてしまい、市役所ОBの天下りポスト(理事長)が増えただけという結果になってしまったという印象です。

 そもそも学長に土木工学の研究者を引っ張ってきた時点で、デザインというテーマに真剣に向き合うつもりはなかったんだと思います。(そして旭川のデザイン文化の足跡を学ぼうとしていないことに呆れました)

 大手メディアは扱わないですが、地域にとっては重要なテーマです。ぜひ、これからもこのテーマを厳しくウォッチしてください! 読者

 「久しぶりの『加計学園』の文字と、市立大の新学部に旭川市は責任を持て――」と見出しをとった五日号の小欄の“肝”の部分を引用しよう。

 ――そもそも、今春開学した市立大は、途中から私立旭川大が“相乗り”する形で公立化を求めた経緯はあるが、ものづくり大学市民の会の運動があって実現した。まして、新学部の開設は、市民の会が声を上げなければ、あり得なかった。市議会も了解した、当初の「地域創造デザイン学部」や「ものづくりデザイン学科」「地域社会デザイン学科」という骨格も、市と市民の会の協議の中で形作られたのだ。

 市の職員は、それは有能な方たちだ。だが、よーく考えてみればいい。二〇一九年に、降って湧いたように旭川市がユネスコの創造都市ネットワークのデザイン分野に認定されたのは、どうしてか。一九九〇年に始まったIFDA(国際家具デザインコンペティション旭川)の存在ですよ。三年に一度のトリエンナーレとして三十年以上、家具デザインの登竜門として世界中のデザイナーの注目を集め続けている。市が資金的な支援をしてきた功績は認めるとしても、実際の運営は民間の知恵と力、人的ネットワークによる。コンサルに頼らずとも、市民の中からアイデアが出てくる、幸せなまちだと思う。市職員は、その力をもっと活用するべきだと思う。(引用終わり)

 私が「市の職員は、それは有能な方たちだ」と持ち上げたのは、一種のアイロニーである。つまり、皮肉、反語、あてこすり。言いたいのは、後半の「コンサルに頼らずとも、市民の中からアイデアが出てくる、幸せなまちだと思う。市職員は、その力をもっと活用するべきだと思う」である。「ものづくり大学市民の会」には、デザインの世界に広く深い人的ネットワークを持つ方たちが何人もいる。なぜ、そうした方たちの意見を聞こうとしなかった?

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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