肩書は、何て紹介すれば良いんだろう。私が感知しているものだけを並べてみると、元第一印刷社長、旭川憲法を学ぶ会会員、ふだんぎ旭川グループ文友・編集スタッフ、大雪と石狩の自然を守る会監査、嵐山ビジターセンター元運営委員、まちなかぶんか小屋元理事長…、則末尚大さんのことである。昨年十二月三日、亡くなった。八十三歳。遺族の話によれば、痰(たん)を喉に詰まらせて急死したらしい。一昨年秋、食道がんを発症し、二回目の手術を受けて昨年十一月三十日に退院して自宅で療養中だった。奥さんの早苗さん(83)によると、手術で声帯を切開したため話すことはできなくなったが、筆談で会合に出席するんだとメモ帳を用意するなど意気軒高だったそうな。残念だ。
則末さんは、一九四一年、旭川市生まれ。旭川東高から早稲田大学へ。中退後、児童福祉施設や出版社に勤務した後、六六年に帰郷して、父親が経営する第一印刷に入社。九〇年、代表取締役に就任。旭川地裁調停委員などの公職のほか、多くの市民運動にも深く関わった。
私は三十六歳のときに縁あって、当時の日刊旭川新聞社に記者として採用された。大学中退後、数多の職に就いてきたが、身体を使って汗を流す仕事がほとんどで、ペンを持つ仕事は初めての経験だった。則末さんと出会ったのは、記者になって三年目、一九九一年のこと。主婦から僧侶になった平田壽子さんのベトナム・カンボジアの旅行記を紙面で連載し、その記事をまとめた冊子を当時の第一印刷さんでつくってもらった。
なんたって年だけとった、新米記者の仕事である。編集なんて初めて。則末さんが手取り足取りで無理難題を聞き入れてくれて、ちゃんと『私の中のベトナム・カンボジア―訪問の旅を追えて―』というタイトルの本になったのだった。以来、能力のない後輩(大学の同窓)を様々な面で支えてくれた。一条通十三丁目にあった、木造の昭和レトロ感あふれる社屋を何度訪ねたことか。いつも変わらぬ飄々とした物腰で、「いらっしゃい」と迎えてくれた姿を今も忘れない。第一印刷が廃業して、今年六月で十年だそうな。
早苗夫人によると、亡くなった三日は、いつも通りに起床してヒゲをそるなど、とても元気だったという。
(工藤 稔)
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