今年八月で満百歳になる母親は、住宅型有料老人ホーム、いわゆるグループハウスに居る。三年前まで独りで暮らしていた。老人ホームへの入居を勧めたときには、かなり強く抵抗したのだが、いまは三食を提供され、三日に一度は風呂にも入れてもらって、独り暮らしのときよりも、目に見えて元気になった。顔もツヤツヤだ。考えてみれば、九十六歳まで、独りで炊事洗濯、掃除や除雪までこなして生活していたのだから、見上げたものだったのだ。腰が曲がり、歩くのは歩行器が必要だが、頭の方は、同じ話を何度も繰り返す以外は、認知症の程度は軽いように見受けられる。

 正月、家人の提案でお節料理を弁当箱に詰めて、年始の挨拶を兼ねて訪ねた。好物の数の子を食べながら、七十五年ほど前の新婚時代の話を始めた。父親は満州で終戦を迎え、抑留されたシベリアから復員して国鉄に入った。間もなく母親と結婚するのだが、官舎が当たらず、ノシャップ岬に近い漁師の家の二階に間借りしたのだそうだ。家賃を受け取ってもらえず、夫婦で漁師の仕事を手伝った。ニシン船から、背負子で担いでニシンを陸揚げする。「板がニシンの鱗でツルツルなのよ。背中に担いだ箱にニシンをいっぱい入れて、板を歩いて上ってね、大きな箱の中にニシンをあけるんだけど、滑って頭から落ちちゃって。ひどいめにあった、ハハハ」。

 家人は、四年前に急逝した私の姉と一緒に何度も聞かされた、“いつもの話”らしい。そんな気配は露ほども見せず、ニコニコ笑って、相槌を打つ。さすがに耳はかなり遠くなっているから、「三回目だよ」と呟く私の声は聞こえないようだ。四回目の、「家賃を受け取ってもらえないもんだから…」に戻って、ニシンの山の中に頭から転げ落ちた話が始まる。

 「わたし、いくつになったの?」と家人に尋ねる。「今年、誕生日が来たら百だよ」。「そうだ、昭和百年だって聞いたから、わたし大正十四年生まれだものね、百歳だわ」と笑う母親。死んだ姉は、母親の面倒を見ながら「こっちが先に逝きそう」が口癖だった。帰途の車の中で、「マジに、頑張らなきゃ、こっちが先に逝きそうだなぁ」と口走ると、「わたしは間違いなく、負ける。お父さん、頑張ってちょうだいね」と返す家人。そんな正月でありました、ハイ。ちょっと長い枕はここまでにして。

 麻生太郎や高市早苗を嫌だ嫌だと思いながらも関心を向けるようなもので、怖いもの見たさの心理なのだろう、トランプ・米大統領に関するニュースを読んだり、見たりしてしまう。十日付朝日の「メディア私評」で、米ニューヨーク在住のジャーナリスト(元共同通信記者)の津山恵子さんが「トランプ氏再び 権力監視の役割 これまで以上に」の見出しで、「トランプ氏らからの誤情報、偽情報、陰謀論、他者への攻撃」を四六時中、ニュースとして伝えるメディアについて書いている。書き出しはこうだ。

(工藤 稔)

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