十八日号の小欄について、「戦後80年、旭川市議会議場に『日の丸』が掲揚される を読んで」とタイトルが付されたメールが届いた。匿名ではなく、住所と名前を明記して「旭川の主婦」とあり、「記事を読んで、書かずにいられませんでした。長い文章で申し訳ありません」とのコメントが付されていた。戦後八十年になっても、まだ、ちゃんと怒る市民がいるんだ。以下、少し長いが全文を引用掲載する。
 ――私は戦後生まれである。父は戦争には行ってないが、日の丸の寄せ書きが家にもある。
 「忠誠」「御奉公」「勇武」「七生滅賊」等々の言葉と署名が書かれてある。その世代の方々は日の丸を見るとやはり苦々しい思いをするのだろう。
 今の若い世代は、オリンピックやスポーツの試合で日の丸を顔にまで書いて旗を振り、熱狂する。表彰台で日の丸を仰ぎ、君が代を斉唱することになんの陰りもない。そしてスポーツで国境を越え仲良くなれることに感動する。
 市議会議場に日の丸が掲げられていても、そういうもんだくらいにしか思わないかもしれない。かつての軍国主義の復活が忍び寄る気配と感じることはないように思う。戦後八十年、市議会議場に日の丸を掲げることが決まったことは何を意味するのだろうか?
 戦争放棄の素晴らしい憲法を持つ国でありながら、また繰り返しをしようとしているのではないかという心配が尽きないのは、アメリカの属国・日本であり、原爆工場の子会社・日本となって、原爆の犠牲をないがしろにしてきた八十年だからと思う。
 私は、広島と長崎において、十一万名に及ぶ夥しい被爆者の方々の日の丸の署名が眠っていることを知っている。その日の丸には、「八月六日・九日を人類総懺悔の日とせよ 純粋無色 第五福竜丸の保存を祈る」と書いてある。その署名には、原爆で亡くなった家族の名前まで書いてある。
 その日の丸署名をもって佐藤栄作総理大臣の時代から、何回となく直訴行進によって運ばれたが、門前払い。今も大切に市民が保管している。署名した被爆者の方々の多くはすでに御逝去されているが、今も広島・長崎市内の裏通りに「被爆国首相よ 八月六日九日を 人類総ザンゲの日として 休日に制定せよ」と標語が貼られており、広島市議会はこれを政府に二回、意見書提出をしている。
 第五福竜丸事件によって、水爆の犠牲者が登場し、二度と繰り返しませんとの心からの死者への誓いは守られないことが証明されてしまったのである。「死んだ者に用はないのか」と官邸前に座り込まれた被爆者の方が、そういえば三月十六日命日であった。今はその継承者が毎週火曜日、官邸前に座り込んでいる。
 人類の総ザンゲの先頭に被爆国こそが立たなければならない。被爆者の方々が、日の丸にはいつくばって死んだ家族の名前を書いた、その思いを共有する被爆国でありたい。
 旭川市議会会場に被爆国として日の丸を掲げ、原爆犠牲者、数々の戦争犠牲者の死者に戦後八十年懺悔の黙祷を捧げ、議会を始めて下さるならばどんなに素晴らしい旭川市であるかと思う。
 旭川の平和都市宣言に「一切の暴力の排除」という文言があるが、人類に対する最大の暴力である核の力に依存する以上、暴力はなくならない。ネットを見ると「旭川市、やばい」と騒がれている。旭川市だけのことではない。「日本、やばい」どこもかしこも「やばい」。
旭川市主婦 今井亜紅里(引用終わり)

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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