このところ、「AI(人工知能)には大量の電気が必要」「SDGsだ」「原発はクリーンエネルギーだ」などと喧伝されて、「あの事故」が起きた二〇一一年当時は国民の八割近くが「脱原発」に傾いた世論が、いつしか「再稼働」「原発依存度を上げる」「小型原子炉の開発推進」など逆方向に向かうかに見える。
我が北海道でも、半導体の生産工場が千歳市に建設中で、泊原発の再稼働がなければ電力が不足する事態に陥る、と危機感を煽る報道もある。地震大国・日本で、原発災害がまた繰り返されるのではないか。つい二四年一月一日に起きた能登半島地震では、福島第一原発の事故の後、運転停止中だった志賀(しか)原発が危機一髪の情況で、原子力安全を専門とする研究者・小出裕章さんは、「稼働していたとしたら、福島第一原発と同様の経過をたどったかもしれない」と指摘しているとされる。
原発についての報道はめっきり減った。国民の関心が薄れるのに合わせて、国も、推進派もひっそりと原発依存に突き進む。この流れを黙って見過ごしていて良いのだろうか。そんなモヤモヤした気分のところに、かつて旭川支局長を務めた、同年代の全国紙の元記者が訪ねてきた。定年退職後、出身地の福島に戻り反原発の市民団体が発行する機関誌などに記事を書いているという。
彼が持参した福島県三春町の住民たちが発行した冊子『あの日 風しもの町で起きたこと―東京電力・福島第一原子力発電所事故直後の福島県三春町での「安定ヨウ素剤」の配付―』や、こどもたちの健康と未来をまもる情報マガジン「こどけん通信」を読んでいて、ふと、関心が薄くなっているのは自分じゃないか、と気付いた。報道が少なくなっているから、ではなくて、自分自身が求めなくなっているんじゃないか、と。で、本紙に載った獣医師・武藤健一さんの記事を読み直したのだった。五月二十日号の連載一回目、武藤さんは次のように書き始める。
(工藤稔)
(全文は本紙または電子版でご覧ください)
(工藤 稔)
(全文は本紙または電子版でご覧ください。)
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