北野組が倒産した。道北最大手の建設会社。ピーク時の一九九三年(平成五年)には百九十億円の売上げを誇った。九七年(同九年)に亡くなったオーナーの小山昌克氏が健在だった時代、その豪胆で包容力のある人柄が、そのまま社風となっている感があって、業界人に限らず「北野はいい会社」と評した。小山氏が後継社長を決めないまま亡くなってから十一年。オーナー不在の中で、社長が次から次へと入れ替わる。本間、大窪、黒木、藤川、黒川、そして最後の社長となった菅原の各氏。その数は六人に及ぶが、実権を握り続けたのは黒木柾策氏だった。

倒産時の役員が「実質的オーナー」と呼ぶ黒木氏は、〇三年に東京の土地取引に絡む詐欺事件で逮捕起訴され、翌年執行猶予付きの有罪判決を受けている。自らは商法上、法人の役員には就けないため、役人OBを連れて来たり、子飼いの社員を社長に仕立て、「院政」という形で会社を支配した。社内での立場は「平社員」であるにもかかわらずである。

役員の一人の話。「六月の株主総会の後、北洋銀行からの借り入れの一部について、個人保証の更新があった。銀行側は、黒木に判を押すよう求めたが、黒木は『妻が実印を握っていて渡してくれない』と言って逃げた」。

この程度の人間が、グループ企業を含めると二百人を超す従業員のトップに立っていた。

社内事情に詳しい北野組OBの一人は語る。「小山のオヤジが死ぬ前に後継をきちんと決めなかったのが、こうした状況を作った最大の要因。そして、もう一つは有罪判決を受けた人間を実質的なトップに据え続けた役員たちの責任だ。黒木を頭に経営能力のない役員たちが、内部留保を含めて十年で百億を食い散らかした。黒木自身は、荷物をまとめて東京に逃げ帰れば済むけど、可哀相なのは、残された社員たちだ。優秀な人材がたくさんいた。一級建築士の資格を持っている社員は、市内のゼネコンの中でも圧倒的に多かったんだ。給料はピーク時の半分に減らされ、二年前からはボーナスもない状況の中でも、会社のためにと必死に仕事をしていたんだから」と。

土木建設業だけでなく、あらゆる業界、業種の経営環境は厳しさを増す。経営者は、北野組の自己破産に何を学ぶか――。

本紙の前号「議会見たまま」で報じたが、北野組の倒産を受け、議会内で連鎖倒産を防ぐ対策として補正予算を組んで道路工事などを発注する案が検討されているという。「四億円の補正予算で、一件二千万円程度の道路整備を二十件。一件につき二社がJVを組んで参加すれば四十社に仕事が回る」との目算らしい。

ンー、確かに北野組倒産の影響を受ける中小零細企業はあるのだろうし、そうした会社に急きょ仕事を作ってやる、という緊急避難としての施策も必要なのかもしれないが、そんな急場しのぎではない、長期的な見通しを持った対策を打ち出せないものだろうか、と思う。

国も、地方自治体も、今後、公共事業に投じるお金を増やすという展開はない。開発局の存廃もささやかれている状況で、業界は間違いなく縮小の方向だ。北野組の倒産も、サラリーマン社長による杜撰な経営という要因以外に、業界自体の縮小の結果という側面もあったはずだ。

行政が手を貸すのは、土建業から業態変換するための方策や資金面のバックアップではないのか。市が困っている企業を援助するのに反対を唱えるわけではない。ただ、道路を無駄に掘り起こす仕事を作ることが、厳しい状況にある中小企業を本当に救う対策となり得るのか、大いに疑問だ。

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