前号と前々号の小欄で、安倍晋三首相と稲田朋美防衛相の「反省したい」「厳粛に受け止めたい」という言葉づかいの不可解さを指摘した。すぐに読者でもある友人から反応があった。私は読み落としていたのだが、朝日七月七日付「オピニオン&フォーラム」面で、国語学者の金田一秀穂さんが「忖度(そんたく)」について話しているという。「『常識』失われ変な方向に」と題するインタビュー記事、そのさわりを紹介しよう。

 ――(前略)いまの政治の言葉づかいは安倍晋三さんが典型ですが、わかりやすすぎる。あの人、国会でヤジを飛ばしますよね。ヤジというのはすごくわかりやすい。蓮舫さんも、わかりやすい言葉しか使わないから、すぐ口げんかみたいになってしまう。わかりやすい言葉で政治を語られるのには用心しなきゃいけない。トランプさんの言葉はとってもわかりやすいけれど、すごく危なっかしいでしょう。

 本来、政治の言葉というのは、解決が難しい問題にかかわるから、あいまいになるはずなんです。安倍さんのような単純な言葉だと、白か黒かになってしまって、複雑な利害が調整できない。

 (中略)むしろ、いまは忖度や斟酌がやりにくい社会になっているんじゃないですか。みんなが共有する常識、コモンセンスのようなものがどんどん失われている。共通の土台がないから、変な方向に忖度をする人が出てきてしまう。(後略・引用終わり)

 そうなんだ、忖度とか斟酌という言葉は、プラスの意味で使われる場面が少なくないはずなのに、安倍首相にまつわる忖度は、すべて負のイメージ。強要された忖度だ。そんな忖度をしなかったであろう前川喜平・前文部科学省事務次官の会見や国会での参考人招致の映像を見るにつけ、聞くにつけ、政治とか行政の場で、久しぶりに正しい日本語、正直で誠実な言葉、質問に出来る限り正面から正確に答えようとする姿勢に接して、何とも爽やかな気分にさせられた。「記憶にございません」を連発する官房副長官、高級官僚の人事を一手に握る内閣人事局長の下にも、こうした気骨がある官吏がいたのだなぁ、そして、この後ろにもまだいるのかなぁ、と淡い期待を抱いたのであった。枕は、ここまで。
 長いこと地元新聞で仕事をしているから、様々な市民運動を取材する中で、運動そのものに関わることになったりする。自ら進んで関わる場合も、成り行きでそうなる場合も、ある。市民運動の代名詞、それは署名活動だ。もう三十年近く昔、今は全国から早春のカタクリやエゾエンゴサクの花を見に大勢の人がやって来る、突哨山の雑木林をゴルフ場開発から守ろうという運動に関わった。毎週末、まだ三十代、四十代だった仲間たちと、買物公園で道行く人に署名を呼び掛けたのだった。
 当時の市長は、菅原功一さん(73)。菅原さんは、ある時、突哨山にやって来て、雑木林を歩き、私たちの主張に耳を傾けた。それから半年後、集めた署名がどれほどの効果があったかは分からないけれど、旭川市は破産したゴルフ場開発会社が所有していた土地を競売に参加して買い取り、公園にした。市民運動は成就したのだった。
 その菅原さんは、市民が署名を集めたわけではないけれど、嵐山も国から買い取って、旭川市の公園にした。優れた判断、決断だったと思う。そして、意欲ある職員たちの声に応えて、旭山動物園に次々に予算を付けた。当時の小菅正夫園長が、「菅原市長が、私たちの要求をビタ一文値切らなかった。だから、全国から人が来てくれる動物園が実現できた。あれが、あと五百万円減らせないかとか、もう少し規模を縮小できないかとか言われていたら、こうはならなかった」と語ったことを憶えている。自らの発想と決断で職員を動かし、まちの施策を進めた。それが政治家の務めだし、まちの〝大統領〟の仕事ではないか。

(工藤 稔)

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