沖縄から帰ってきた。夜でも二十三度、半袖のТシャツから、いきなりストーブを炊いた部屋で、長袖のトレーナーにももしきである。七十歳を超えたジイサマにはちと辛い環境の変化である。
お付き合いがある企業グループの恒例の、研修名目の観光旅行。今年は三泊四日で、沖縄本島の中・南部を巡る旅。辺野古の米軍・キャンプシュワブ前で座り込みを続ける“同志たち”に申し訳ないと心の中で詫びつつ出発したのだった。
噂に聞いていた、美ら海(ちゅらうみ)水族館のジンベエザメやマンタがマグロやカツオの魚群に囲まれて悠々と泳ぐ巨大な水槽は、予想以上の迫力だった。マナティーのカップルもかわいかったし、お利口なイルカのショーに拍手もした。
だが、今回の旅で強く印象に残ったのは、観光バスガイドだった。修学旅行の生徒たちを案内することが多いとのこと。翌日から続く中高生のガイドの予行演習の意味もあったのかもしれない。嘉手納の基地を一望する道の駅に向かう道すがら、子どもたち対象の「平和教育」用と思われる沖縄の歴史を学ぶビデオを見せられたりした。平和という言葉を押し付けるわけではなく、なぜ日本の国土の〇・六%しかない沖縄に、日本国内にある米軍専用施設の約七割が集中するようなことになったのか、その歴史や経緯について映像を交えてさらりと伝えてくれた。
千葉梨奈さん。沖縄出身で、奈良県でバスガイドとなり、故郷の歴史や物語を伝える仕事をしたいとの思いで戻ってきて、現在の会社でガイドの職に就いたそうだ。運転席横の特設ステージと名付けたスペースで、三線を弾き、島唄を歌い、沖縄の盆踊り・エイサーを踊り、民族衣装を身に着けて島言葉の寸劇などを披露してくれた。また、バスガイドになって間もない頃に聾学校の子どもたちを案内した経験から手話を学んだという逸話も紹介し、手話の歌を伝授しつつ一緒に歌った。
(工藤 稔)
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