「生活保護」という言葉に思い出す女性がいる。前の職場、初めて「記者」なる仕事に就いた会社で写植のオペレーターとして働く、二人の小学生の男子を育てるシングルマザーだった。当時はパートで働いていた、と思う。給料で足りない生活費を生活保護で得ていた。きっと外に働きに出ずに、生活保護だけを受給して暮らすこともできたろうに。いつも、偉いなあ、とその仕事ぶりを眺めていたものだ。子どもに手が掛からなくなるとフルタイムの社員として働くようになったようだ。上の子は自衛官になり、下の子は北見工業大進んだ、と聞く。困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障して、その自立を助長するという、生活保護の目的、制度が活かされた実例だろう。

 以下、十一月八日付毎日新聞の記事を引用しよう。

 ――高市早苗首相は七日の衆院予算委で、厚生労働省が二〇一三~一五年に実施した最大一〇%の生活保護費の減額処分を違法として取り消した最高裁判決について、「違法と判断されたことについては深く反省し、おわびを申し上げます」と謝罪した。六月末の判決以降、政府として謝罪の意を示すのは初めて。(後略・引用終わり)

 二〇一二年に起きた「生活保護バッシング」に同調して、高市氏は保守系議員が集まる研修会で「さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでも得をしようとか、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」と発言している。当時は、同年三月に発足した自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム(PT)」(座長・世耕弘成参院議員=当時、現衆院議員)の活動が活発化していた時期だった。

(工藤稔)
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