朝食を取りながらNHKの連続テレビ小説『ばけばけ』を家人と観るのが日課になっている。ギリシャ生まれでアイルランド育ち。アメリカで新聞記者として働き、一八九〇年(明治二十三年)に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲・一八五〇―一九〇四年)と、松江生まれの士族の娘、怪談を愛した妻・セツの夫婦をモデルとした物語だ。
小泉八雲について、いつ習ったのだろう。ラフカディオ・ハーンという名前も、さほど考えることもなくスラスラと出て来る。いつ、どんなタイミングで小泉八雲、あるいはラフカディオ・ハーンを読んだのか、まったく憶えていない。小学生のときだったか、高校生になってからか、大学に入ってからでは多分、ないな。
『ばけばけ』がきっかけで、八雲の著書を何冊か読んだ。八雲は四十歳で来日し、一九〇四年(明治三十七年)、心臓発作で亡くなった。五十四歳だった。たった十四年の日本滞在中に、おびただしい著作を遺している。『怪談』(ポプラ社・二〇〇五年、山本和夫訳)の訳者解説をちょっと引用しよう。
――(前略)小泉八雲は日本人となって、日本の土になりましたが、その一生は旅の人でした。ギリシャに生まれ、イギリスで育ち、フランスで勉強し、その後アメリカに渡っています。
それから日本です。ぐるりと地球を半まわりして生きたのです。イギリスでは、父母が離婚したため大叔母に育てられたので、寂しくはあつたけれど、生活は裕福でした。
けれど、アメリカでは貧乏で、生活に苦しみました。でも、世の中には甘えませんでした。そのころ、
「私は天才ではない。それは知っている。天才でないものは、うんと勉強しなければ、りっぱな人にはなれないということを知っています…」
八雲は、どんなに生活が苦しくとも、読書はやめませんでした。時間があると図書館にかよいました。(後略・引用終わり)
もしかすると、初めて小泉八雲の著作に触れたのは、『耳なし芳一』かもしれぬ。そんな思いに駈られて、図書館で『絵巻平家物語』(木下順二・文/瀬川康男・絵、一九八年・ほるぷ出版)を借りてきた。平家物語の冒頭、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす」って、高校の漢文の授業で習ったのだったか…。
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(工藤 稔)
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