想像を超える選挙結果だった。ある程度の自民党の勝ちは予想していたが、ここまで大差がつく結果になるとは、まったく想定外だった。それは地元、北海道六区の選挙結果も同じだった。自民党と連立政権を組んでいた公明党が政権を離脱し、野党の立憲民主党と合併して新党・中道改革連合をつくった。単純に考えれば、六区に一万八千から二万票あるとされる公明票が自民・東国幹(57)から、立民・西川将人(57)に振り替えられる。公示前の一月二十七日号の小欄で、私は前回、二〇二四年十月の衆院選の得票数を示しながら、「東(国幹)は厳しい選挙戦を強いられることになる」と書いた。勝負は下駄を履くまでわからない、って本当だね。
さて、これほどの自民党にとっては大勝、中道改革にとっては大惨敗の選挙になった理由は何か。十日付北海道新聞によると、大差を付けられて敗北し比例復活も逃した西川候補は、「全国的な高市早苗首相人気にあらがえなかった」との見方を示したそうな。また、新党を結成した立憲民主党と公明党を支持してきた人の投票行動について、「緩い支持の人は高市首相の人気で自民に流れた可能性もあるし、新党の結成で心に葛藤があった人もいると思う」と分析したと報じられた。
この西川談話に限らず、多くの評論や報道が自民大勝の理由を「高市人気」に求めているが、本当にそうなのか? へそ曲がりのオジサンは、どうも納得がいかない。一月二十七日号の小欄では、私は次のように書いている。
――その「中道改革連合」ってどういうことなんだぁ? 立憲民主党って、いつから「中道」を標榜するようになったんですか。公明党が「中道」を掲げるのは、なんとなくわかる。つい三カ月前まで、自民党と連立を組んでいたんだから、どう考えたって「左」ではないわな。また、「大衆・平和」を立党の精神とするのだから「右」でもない。だから「中道」。だけど、立憲民主党はどうなのよ。集団的自衛権の行使を容認するなどの「安保関連法」を「違憲」と主張していたし、「原発の再稼働」は絶対反対なんじゃなかったの? おまけに憲法九条への自衛隊明記は「議論を深化していく」ってかい。「中道」の公明党と合体して政権交代を目指すために、背骨になる政策をかなぐり捨てちゃって良いのかい? これまでの支持層がごっそり離反するんじゃないのぉ?(引用終わり)
旧立憲民主党と公明党を合わせて百六十七あった議席を四十九にまで激減させた、特に旧立民は百四十四から二十一議席という、壊滅的な敗けを喫した理由は、本当に「高市フィーバー」だったのかい?
イライラしつつネット世界を彷徨(さまよ)っていたら、ビジネス誌・プレジデントのオンラインで、「『高市人気が凄すぎたから』でも『公明に乗っ取られたから』でもない…旧立憲議員が『ほぼ全滅』した本当の理由」という記事を見つけた。筆者は、尾中香尚里。元毎日新聞の記者で、現在はフリーのジャーナリスト。毎日の紙面で見たことがある名前だ。以下、その抄録。
――立憲の結党は、希望の党騒動によって政界が「保守2大政党」に引き寄せられかけたことに抗い「自民党と異なる社会像を掲げた」意義があった。
こう書くと「それが反原発だ」「反安保法制だ」などと言い出す向きもあるが、それは大きく違う。立憲の存在意義は、二一世紀に入って以降の自民党が進めてきた「自己責任を強いる社会」ではなく、公助の充実で国民の暮らしの不安を取り除く「支え合う社会」を掲げたことだ。
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(工藤 稔)
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