「ピンクの羽根を胸に付けるとか、小さなバッジをくれるとか、どうにか出来ないのかな…」――妙齢のご婦人が困惑した表情で言う。週末、買物公園では各種団体や高校生のグループ、子どもたちまでが大挙して繰り出し、首に募金箱を下げて「被災地の人たちを応援しましょうー」「募金をお願いしまーす」と呼びかける光景があちこちで見られる。「私、町内会とか、サークルとか、夫の会社とか…、もう四回も五回もお金を出させてもらっているんだけど、あの人たちの前を通るときに、もうしてますからって言えないじゃない。知らない顔をして通り過ぎたら、何だか人非人みたいだし。“募金済み”のマークを作ってくれたらいいと思うのよ…」と。とても理解できる提案だと思う今日この頃。

 福島の海に放出されている「比較的低濃度の汚染水」とは、一体、何に比べて「比較的」なのだ? 私が知る限り、どの新聞も、テレビも、この「比較的低濃度の汚染水」の、具体的な濃度を報じていない。しかも、ここ数日前からは、同じ放出された汚染水なのに、「比較的」という表現がなくなり、単に「低濃度の汚染水」になった。明らかな情報隠蔽である。

 その、東京電力発のいかさま情報を平気で垂れ流しているマスコミが、「風評に惑わされるな」「生産地を支えよう」などと読者や視聴者に説教を垂れる。何をかいわんや、である。正確な情報を伝えられない庶民は、自衛せざるを得ないではないか。権力の側にいるマスコミから「比較的低濃度」などという超非科学的な情報を与えられれば、「本当の数字は、びっくらこくくらい高濃度なんだべさ。かなりやばいんでないかい」と察知するのは、力無き民草の権利だと言っていい。

 マスコミが電力会社に一定程度の気を遣う理由の一端を私は経験している。北海道後志管内泊村にある泊原発の一号機が運転を始めたのは、私が記者という職業に就いた翌年、一九八九年六月だった。その数年前から、全道で反原発の運動が起こっていた。旭川でも、市民グループを中心に集会が開かれたり、中には原発分の電気料金を払わない運動を始める主婦もいた。泊一号機が運転を開始する前だったか、直後だったか、北海道電力が記者らをホテルに招き、懇話会を開いた。北海道新聞、朝・読・毎・日経といった全国紙、テレビ局、通信社の記者や支局長ら十人ほどが出席し、フルコースの料理をいただいた。もちろん、アルコールありである。現金なもので、北電主催の懇話会は、その後一回だけ。その時は、お酒付のフルコースではなく、コーヒーとケーキだった。泊原発が稼動し、マスコミが取り上げなくなれば、接待は不要ということだろう。

(工藤 稔)

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