前号につづき、二月九日号小欄に対する全国紙記者からのメールを起点に、私見を書く。もしかすると読者には退屈かなぁと危惧しつつ。以下、前号が出る前、二月二十日に届いたメール。

 ――(前略)ぼくはもう一つのテーマとして、記者自身が一市民としての立場を持った市民活動に深くかかわっているとき、報道との兼ね合いでそれをどう整理すればいいのかという悩みがあります。たとえば昨日わたしは新庁舎市民説明会に参加したのですが、取材記者と旭川市民の中間のような心持ちで参加者席に座っていました。質問の時間が来たのですが、甘い質問が多かったので(笑)取材ではなく一市民として手を挙げたくなりました(さすがに報道陣として取材質問をする時間ではないと思いました)。とはいえそこで聞いたことは記事にもするわけでマッチポンプなわけです。結局他の参加者からの質問だけで時間が来たので機会はありませんでしたが、正解がわかりません。工藤さんの旭川大学公立化に対する向き合い方は、ご自身が特定の意見を持った市民団体の主要メンバーであり、一方で新聞の1面にそのことで論評記事を書いておられる。どう咀嚼されているのか、自分へのヒントとして機会があればうかがってみたいと思っています。(引用終わり)

 同じような質問を何回か受けたことがある。私の中ではかなり明確なのだが、周りの方たちはそうではないようだ。彼への返信を兼ねて書いてみよう。

 つい先日も、市の担当部局が「旭川に公立『ものづくり大学』の開設を目指す市民の会」のメンバーに「旭川大学の公立化」について説明する場にいる私に、担当者の一人が「記者としてですか、それとも会のメンバーの一人としてですか」と尋ねました。私は、「会のメンバーとしてです。今日の話は記事にはしません」と応えました。でも、その会合の生の話は書きませんが、「旭川大学の公立化」についての記事なりコラムを書くときは、その会合で知り得た情報は、もちろん使います。ネタ元を明らかにするか、しないか、といったテクニックは加味しますが。

 少し格好よく言うと、このまちで暮らす一人の市民の立場で取材するし、書くし、ものを言う、ということです。ですから、私が新市庁舎の市民説明会に出席していたら、質問したり意見を言ったでしょう。その行為にほとんど躊躇(ちゅうちょ)はないと思います。もしかすると、転勤がない、ずっとこの土地に居続ける、という環境も影響しているかも知れません。ちょっと短絡的にも思えますが、案外大きな要因かな、と。

 もう二十五年も昔の話ですが、現在は旭川市と比布町の公園になっている突哨山に、ゴルフ場が造成されるという話が持ち上がりました。当時、私は年を食った新米記者でした。地方の小さな新聞社ですから、ちゃんとした記者教育も受けてはいません。ゴルフ場建設と反対運動を取材して記事にしているうちに、農業者や主婦や学校の先生や会社員や…、市井の人たちが集まって立ち上げた「突哨山の自然を考える会」のメンバーの一人になっていました。「考える会」が市役所に抗議に行ったり、街頭で署名活動をするときには、記者と会員の立場はごちゃ混ぜだったと思います。

 突哨山のゴルフ場計画は、バブルが弾けた瞬間に破綻し、買収された用地は競売にかけられました。「考える会」は旭川市に公有地化を求める運動に取り組み、地道な活動が功を奏して「日本一のカタクリの山」と「身近な自然」は残された、というわけです。当時、全国紙の記者も運動に加わって、大きな力になってくれました。こんな話、あまり参考になりませんかね…。

 

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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