「大衆」とくくられる者たちは、我が身を含めて強そうな人、偉そうな人に引かれるものなのかも知れない。大言壮語に弱い、と言ってもいいか。

 二〇一四年十二月の総選挙で、元東京都知事で、前衆議院議員の石原慎太郎氏は、次世代の党から比例単独候補として出馬し、落選した。選挙後、政界引退を表明する記者会見で、香港のテレビ局の記者から「シナと戦争して勝つことと発言されているようですね」と質問された石原氏は、「『今したいことは何か』と聞かれたので、『シナと戦争をして勝つこと』と言ったら『暴言です』と言われたが、私は日本人として言ったんです」と答えている。

 「シナ人」や「三国人」という呼称は差別用語ではないと歴史的経緯や様々な理由を挙げて主張する向きがあるが、中国共産党を嫌悪する石原氏は、差別するための表現として意識的に使っている、だからダメなのだ。

 その「いばりん坊」の、みんなが好きな石原元知事が、東京都の豊洲市場の問題で責任を追及されると次のように情けない弁解をする。

 「当時、様々な重大案件を抱えていたことや、まもなく八十四歳になる年齢の影響もあって、たとえ重大な事柄であっても記憶が薄れたり勘違いをしたりすることも考えられます」

 「自分は素人だから建築について話す立場ではないし、見識もない。だから人任せにしてきた。プレッシャーも与えてない」

 二十一日の各紙は、小池百合子都知事が、豊洲の用地買収をめぐる住民訴訟について、買収当時の石原知事に損害賠償責任はないとしていた従来の方針を再検討する考えを表明したと報じた。

 舛添要一前知事は、政治資金を使って家族でホテルに泊まっただの、絵や漫画を買っただの、みみっちい話で袋叩きにあったのに、土壌汚染対策費を含め六千億円に上る巨費を投じる一大事業を決定した石原元知事には、マスコミを含めてどこか遠慮する雰囲気がある。小池都知事の政治的思惑が背後にあるにせよ、開かれた場で石原氏や都議会の責任を含めて検証されるのは当然のことだ。

 

(工藤 稔)

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