二〇一一年夏から、十四年にわたって一緒に「旭川にものづくり系の大学をつくろう」と活動して来た仲間の一人から、「ねぇねぇ、道新の記事読んだ?」と電話があった。四月五日付の北海道新聞に小さな記事が載ったというのである。そのとき、私は付き合いの観光旅行で九州にいた。当然、道新は読んでいない。第三社会面に載った記事を引用しよう。見出しは「東大に70年ぶり新学部」。以下、本文。
――東京大は四日、二〇二七年九月に文理融合型の新しい教育課程を開設すると発表した。学部の一つとする方針で、東大の学部新設は約七十年ぶり。欧米で主流の秋入学とし、入学定員百人の半数程度を外国人学生とする。複雑な世界的課題の解決に対応できる人材を育て、国際競争力の向上を目指す。
新課程の名称は「カレッジ・オブ・デザイン」。大学院修士課程の早期修了制度を活用し、学部四年と修士一年の五年一貫の教育プログラムとする。(引用終わり)
私たち「市民の会」の運動は、当初は閉鎖が発表された東海大学旭川キャンパスに替わる「ものづくり系」の大学を旭川に開設したい、というものだった。この市民運動に触発されて私立の旭川大学が市に対して「公立化」を要望。当時の西川将人市長は、旭川大学を公立化し、そこにデザイン系の学部を新設する、という方向を決めた。
市民の会は、シンポジウムや講演会を幾度も開催、署名運動にも取り組み二〇一二年末には、街頭などで呼び掛けた「公立ものづくり大学の開設を求める」署名四万三千四百十三筆を市長と市議会議長に提出している。
市と市議会、市民の会は、公立化した新大学に、地域創造デザイン学部を開設し、ものづくりデザイン学科と地域社会デザイン学科を設置することで合意。二五年春には、学生を募集する予定だった。
ところが二三年五月、公立化された旭川大学は、新学部の名称から「デザイン」を削除し、「地域創造学部」とすると発表。市民の会の会長を務めた、一代で国際的な家具メーカーを育てたカンディハウスの創業者、長原實さん(一九三五―二〇一五)の信念とも言える「デザイン」という文言の勝手な削除に、粘り強い活動を続けてきたメンバーは、戸惑い、怒ったのだった。
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(工藤 稔)
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