いささか時機を外してしまった感もあるのだが、岩波書店の月刊誌「世界」二月号に、片山善博・元総務大臣(現慶応義塾大教授)が連載「日本を診る」で先の衆院選について次のように書いている。この稿の論旨の一つは、憲法第七条による衆院解散は「憲法違反ではないか」という指摘なのだが、それは置く。少し長いが冒頭部分を引用する。

――勝つためなら、あの手この手で何をやってもいい。このたびの解散総選挙から受けた印象である。それはあたかも、地域振興のためならカジノでもなんでもギャンブルを誘致しようという浅薄さと相通ずるところがある。

ギャンブルが成り立つのは、一方に必ず金を「磨(す)る」人がいるからで、中にはそれで財産を失う人も出てくる。仕事を失い、家庭は崩壊し、家族が路頭に迷うかもしれないが、他方で幾ばくかの雇用が発生し、地域の振興につながればそれでいい。ギャンブルで身を持ち崩す人がいてもそれは自己責任であって、誘致した側が悪いわけではない。国民生活の安定を志すべき国や自治体がこんな考えを持っているとしたら、それは明らかに間違っていると思う。

権力者の都合で突如衆議院を解散してしまう。首相は「国民の信を問う」といきがったが、いったい何を国民に問いたかったのか、定かではない。国会がにっちもさっちもいかないほどもめた風もない。権力の座にある政治家の身勝手な振る舞いにあきれた多くの国民は、いきおい選挙に対する関心を失わざるを得ない。

これでは有権者の関心と信頼の上にしか成り立たない民主主義の基礎を蝕みかねないが、そんなことはお構いなしで、ただ自分たちが勝ちさえすればそれでいい。選挙に関心を持たず、投票にもいかないのは、自分で権利を放棄しているのだから自己責任であって、決して政治の側が悪いわけではない。民主主義の申し子であるべき政治家たちがこんな考えだとすると、これも明らかに間違っている。カジノ誘致と今次の解散総選挙にはどことなく通底するところがある。(引用終わり)

片山さんは、岡山県岡山市の生まれ。旧自治省(現総務省)に入り、鳥取県庁に出向した縁で、請われて一九九九年(平成十一年)の鳥取県知事選に出馬し、当選。二〇〇七年までの八年間、知事を務めている。昨年八月、旭川中央図書館の開館二十周年を祝う市民の会(北川武子代表)の招きで来旭し、講演した。図書館を地方行政の拠点と位置付け、住民サービスに活用するという、知事時代に自身が取り組んだ事例を紹介しながら、知的なユーモアを交えて地方行政のあるべき姿を具体的に語ってくれた。心底、このような首長を戴く自治体住民の幸せを思った。ないものねだりだと知りながら。聞けば、片山さんは一九五一年(昭和二十六年)のお生まれ。なんと私と同い年ではないの。この落差、恥じ入るばかりで。その片山さんの旭川での講演の枕の一部を紹介すると――

(工藤 稔)

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