決意しよう、過去のあれこれをあげつらって、噛みついたり、激しく批判したり、特に人格を否定するような筆致は慎む。コトを前に進めるために、どのような主張を持つ方とでも互いを理解するよう努める、と。

 二〇一一年夏、長原實さん(カンディハウス創業者・二〇一五年十月死去)を先頭に、「公立ものづくり大学」の開学を求める市民グループが活動を始めて六年半になる。その間の「公立大学」に関わる動きを簡単にまとめると――

 二〇一二年、「市民の会」が一年半かけて集めた四万三千筆の署名を西川将人市長と三井幸雄市議会議長(当時)に提出。

 二〇一三年度、旭川市は高等教育機関設置検討調査費として五十万円を措置。市内の高校二年生を対象にアンケート調査および市内・道内の大学学長への聞き取り調査を実施。報告書を作成。

 二〇一四年度、市は百万四千円の予算で、高等教育を考える会議(委員長・吉田貴彦旭医大教授)を開催。十一月の市長選で、西川市長は「公立大の設置」を公約に掲げる。

 二〇一五年度、市は大学設置検討のための調査費として六百万円を計上。予定した東京の専門コンサルタントへの業務委託ができず、五百二十万円が不執行に。

 二〇一六年二月、旭川大学が「公立化」を求める要望書を旭川市に提出。同年度、市は検討調査費九十五万五千円を措置。旭川大学の公立化検討に関する有識者懇談会を設置。

 二〇一七年二月、第一回目の有識者懇談会開催。年度をまたいで、十月十七日までに五回の会議を開催。

 二〇一七年度、市議会が旭川大学の市立化等調査特別委員会(十八人)を設置、審議中。十月二十五日の委員会は、旭川大学の山内亮史・理事長兼学長と、「市民の会」の伊藤友一会長ら三人を招き、話を聞く。

 発端は、経済界の危機感だった。旭川市を含む周辺市町、広くは道北地域の産業や経済、文化に大きな貢献をしてきた東海大学旭川キャンパスの撤退・閉鎖の影響は、遠からず、間違いなくこのまちの衰退につながっていく。会社経営者にとって切迫した事態だと受け止められた。豊かな創造性を有する人材の確保、それは「ものづくり」の企業にとどまらない。社会を見渡せば、デザイン系の大学、学部の卒業生があらゆる分野の企業に求められている。

 亡くなった長原さんが、行政関係者や山内理事長・学長に対して、「スピード感を持って」と繰り返すのを何度耳にしたことだろう。活動をスタートして六年余り、いま、企業、特に中小零細企業は悲惨とも言える歴史的な求人難の状況にある。決してアベノミクスによって景気が良くなっているからではない。単に団塊の世代が大量に退職・引退する時代がつくった求人難、人手不足である。だから、様々な手段をこうじて募集しても面接者ゼロ、という状況はまだ続く。

 二〇一三年度、五十万円の予算で旭川市の有能な職員が行った調査の報告書は、次のような「まとめ」を発表している。

(工藤 稔)

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