優佳良織工芸館、国際染織美術館、雪の美術館の三館の取得を目指していた財団法人が、旭川市との協議が不調に終わったため、事業を断念した。

 三施設を運営していた北海道伝統美術工芸村が経営破綻したのは二〇一六年。工芸館と染織美術館は閉館となったが、雪の美術館だけは別法人・マリーブラッサム(石川容子社長)が一四年から建物を賃借していたことから営業を続けていた。

 三館の建物がいずれも文化的、建築的価値があること、「優佳良織」が地元に根差した手工芸として半世紀以上も市民や観光客に愛されてきた“歴史”があることから、織の技術の継承と建物の存続、利活用を求める市民運動が起きた。一八年には八万四千筆の署名が西川市長に提出された。

 市長は三館存続の検討を関係部局に指示。その指示は、旭川市と周辺七町で構成するカムイミンタラDMO(観光地域づくりを目的とする法人・いわゆる第三セクターですな)に引き継がれた。一九年に三館の取得を主な目的とする財団が設立され、固定資産税滞納分など五億四千万円の債権を持つ旭川市と協議を始めた。ざっくり振り返ると、こんな流れだ。

 だが、遅々として進まない三館存続に向けた歩み。そうこうしているうちに、「新型コロナ」の襲来である。建物がディズニー映画『アナと雪の女王』の氷の城と似ていると評判を呼び、音楽堂での結婚式やコンサートの企画など、頑張って営業を続けて来た雪の美術館も六月、ついに閉館せざるを得なくなった。「私、精一杯やった。これ以上待てない」。石川社長の悲痛な声である。

 申し訳ないが、結果は最初から見えていた。このような事業というものは、先頭に立つ人が、命懸けで、なりふり構わず、お金は二の次で、いわば“神がかり”の境地で取り組まなければ成就しない。片足を違うところに置いて、ソロバン勘定しながらやったって、しょせん無理な話なのだ。

 加えて、優佳良織の工芸としての技術や歴史を理解し、あの三館の建物に愛着を持ち、価値観を見出せる人間が、本気で関わらなければ、「存続」も「利活用」も、言葉遊び、絵空事だ。「皆さんの意見をお聞きしながら」などという、うすらぼやけた政治感覚が、建築物として高い価値を持つ赤レンガ庁舎をスクラップにして、何の特徴もない、ただのビジネスビルの新市庁舎を、シビックセンターとして建設する結果を招いた。それに通じる。市長の器を超える施策は期待しない方がいい、ということだろう。枕はここまで。

 七月二十八日号のあさひかわ新聞は、臨時市議会の質疑の記事の中で、市立病院に来年夏、感染症センターが完成すると報じた。友人でもある複数の読者から、「怖いのは、今年の秋口から来年春までの冬だ。熱が出たら、普通の風邪なのか、インフルエンザなのか、もしかすると新型コロナじゃないか…、市民はそんな恐怖の冬を過ごすことになるのか?」と質問が寄せられた。私も、そう思う。市保健所と市立病院に取材した。以下、そのまとめ。

(工藤 稔)

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