福島県飯舘村の酪農家の話を聞く会が二十三日夜、勤労者福祉会館で開かれた。飯舘村は東京電力福島第一原発から北北西方向に、一番近いところで三 十㌔、遠いところで四十五㌔の距離にある村だ。原発が爆発する二〇一一年三月十一日以前の人口は約六千五百人。全村が計画的避難区域に指定された現在、居 住民はゼロである。
長谷川健一さんは一九五三年生まれ。牛五十頭を飼育する酪農家だ。飯舘村前田地区区長、福島県酪農業協同組合理事を務める。七年前、息子が酪農を 継ぐと言って帰郷して、結婚し、孫も生まれた。前年には、子牛の牛舎を新築。そろそろ息子に経営を譲る時期かなと考えていた矢先の原発事故だった。
講演は、「私は福島の人間で、ずうずう弁ですからね。何言ってるか分からなかったら、遠慮なく手を挙げて、分からないからもう一回しゃべってくれって言ってください」という話から始まった。
平成の大合併の折、村民は合併ではなく、背伸びせずに、今あるものを大切にして、自分たちの手の届く行政をやればそれでいいじゃないかと、「まで いな村づくり」を掲げて自立の道を選択した。「までい」、北海道では「まてい」と使う人が多い。「丁寧」「雑でない」「念入り」「ぞんざいでない」「手を 抜かない」という意味だ。
(工藤 稔)
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