長原實さん(カンディハウス創業者・二〇一五年十月死去)を先頭に、「公立ものづくり大学」の開学を求める市民グループが活動を始めたのは 二〇一一年夏のことだった。先月末、七ノ八のビルの一室に構えていた事務所が閉じられた。「活動に一定のメドが立った」という理由だ。運動に賛同するビルのオーナーが、光熱費に毛が生えた程度の家賃で七年半、貸してくれていた。長原さんの背中を追って、運動にいささか関わった者の一人として、事務所の撤去は感慨浅からぬものがあった。

 さて、その「メド」の一つが、市が外部に委託していた調査の結果が出たことだった。あさひかわ新聞十二月四日号が伝えたように、学生確保の見通しや、大学運営の収支見通し、新大学開学までのスケジュールなどが、市議会の「調査特別委員会」(中川明雄委員長)に報告された。

 その報告書を読んだ、旭川に公立「ものづくり大学」の開設を目指す市民の会の伊藤友一会長(デザインピークス社長)と澁谷邦男副会長(東海大学名誉教授)が、次のステップに向けて「気になる点」をメールでやり取りしている。今後、市議会・特別委員会で西川将人市長も出席して議論が行われるようだ。二人の意見を紹介しよう。ちなみに、澁谷さんは、札幌市立大学新設時にその前身の札幌市立高専の校長で、東海大学では文部省に設置申請を何度か経験し、伊藤さんはデザインの分野で国内外に広い人脈を有する。

 澁谷さんは、公立大学設立までの工程について、報告書にあるA・B・Cの三案について次のように指摘する。

 旭川大学が新学部を設置した後に公立大学法人に移行するA案は、旭川大学の場合は今まで各地で認可された「公設民営」ではなく、「民設民営」の私立大学が公立に移行するケースで極めて例が少なく、もし私立のままの「ものづくり系学部」が続く事態になった場合、高額な授業料と受験生のレベルなど授業研究内容で、一般的傾向のように学生が集まらない状況が想定される。また、公立化を前提として私立大学に新たに教員を採用することになり、果たして採用される側の信頼が得られるだろうか。

 B案は、旭川大学・短期大学を廃止した後、公立大学を新設する案。妥当だと思う。

 旭川大学の既存学部を公立大学法人に移行後、二年後に新学部を設置するC案については、二度申請するケースで、大学設置や運営に少しでも関わった人なら、ここだけの話だが噴飯もの。各々の申請業務は裏付けある分厚な申請書類の作成に大変な労力を要する。趣旨内容、全国的な大学行政の視点から判断をする文科省、自治体の財政状況について確認をする総務省など多くの関係部局に申請、審査を依頼するなどの業務を短期間に二度行うことは不可能に近い。

 新大学がスタートすると、文科省や大学関係者は「完成年度」という言葉を使うが、四年間、教育現場と大学運営部門など全ての関係者は卒業生を出すまで全力投球だ。四年経って初めて、収支や教育成果が明らかになる。それ以前(完成年度以前)に新学部設立を申請しても、文科省、総務省とも大学の実情を判断しにくく二年後の学部新設申請は、考えにくい。

 澁谷さんは、このほか、市が提案している「地域創造デザイン学部」の「ものづくりデザイン学科」と「地域社会デザイン学科」の学科種別について、「芸術系」のカテゴリーにするよう求める。内容は明らかに創造教育を軸とするデザイン系(芸術系)で、学生一人当たりの交付金が「社会学系」より四十~五十万円、学生数によるが年間一億円前後も違ってくるのが理由だ。

 そして、伊藤さん。新たな公立大学が開学するまでの工程について次のように言う。

 「私達としてはあくまでも新学部同時開校が大きな望みです。やりやすい方法とか、確実な方法(?)という言い訳で、新学部を二年も遅らせての開校というスケジュール案には納得いきません。ここは市の本気とやる気が問われます。

(工藤 稔)

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