過日、旭川に公立ものづくり大学の開設を目指す市民の会(伊藤友一会長)の「ちょっと遅い新年会」なる会合が、おかだ紅雪庭(五ノ十六)であった。一月に開催する予定だったが、新型コロナ「まん防」で延び延びになったのだ。


 会の発足は二〇一一年。八月八日、設立総会が百五十人が出席して旭川商工会議所の二階ホールで開かれている。翌年一二年春には、東海大学旭川キャンパスが学生募集を停止するタイミングである。その格調高い設立趣意書の「核」の部分を。

 ――我が旭川は、一九六〇年代から七〇年代にかけて、時の市長を中心に「研究学園都市」を目指し、産学官の連携と市民力をもって市立商業高校を創設し、東海大学工芸短期大学(当時)、そして国立医科大学の誘致を実現した歴史を有します。しかし近年、市立商業高校の道立高校への併合、東海大学旭川キャンパスの閉鎖と、知的人材育成の機能が急速に失われつつあります。少子高齢化による人口減少は全国共通の文明病ですが、それを理由に何もアクションを起こさないのは、亡都を甘受する姿勢と言えるでしょう。

 ――国の財政が極度に逼迫する中で、東日本大震災がその窮状に追い打ちをかける状況だからこそ、グローバリゼーションの潮流と人口減少に立ち向かうべく、日本人の最も得意とする「ものづくり」の分野で、地方都市旭川は高い芸術性と感性、そして知性を持った創造的人材の育成に取り組まなければなりません。それが、このまちの明日を拓く確かな道だと確信します。(引用終わり)

 この設立総会から十二年余り、来春、ようやく旭川市立大学が開学する。二年後の二〇二五年には、「地域創造デザイン学部」が新設され、ものづくりに通じる二つの学科で八十人の学生が学び始める。当初、市民の会が求めた「ものづくり大学の開学」とはいささか違う形になったが、市民運動が結実したと言って良いだろう。

 新年会だから、軽くお酒が入った。一人から、「私たちの運動がなかったら、旭川大学の公立化は実現しなかっただろうか?」という質問が出た。「実現しなかったと思う」との意見が大勢だった。そして「市民運動がつくった大学だ」という声が上がった。蛇足だが、「前市長がもう少し早く決断していれば、ご本人がテープカットできたのにね」との恨み節も聞こえた。

 さて、公立大学への移行を一年後に控えて、今春の私立旭川大学の志願倍率が大幅に上昇した。これまで一・四~二倍弱だった倍率が、二・九八倍になった。市立化されれば、現在は入学金二十万円、授業料年額八十万円(保健看護学科は百二十万円)が、入学金三十万円、授業料年額五十四万円になる。今春入学しても、来年度以降、三年間は公立の恩恵が受けられることになる。

(工藤 稔)

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