市議会で六月三十日、旭川市立大学に二〇二六年度に新設される新学部に関わる補正予算が可決された。小欄で前号、前々号と続けて書いたように、学部・学科名から、「デザイン」と「ものづくり」という文言が唐突に削除される事態を市議会として容認する「可決」である。

 二〇一〇年に東海大学旭川キャンパスの閉鎖発表があってから、市民団体「旭川に公立『ものづくり大学』の開設を目指す市民の会」が立ち上がり、市も私立旭川大学(当時)に対して四条件を提示したり、公立化についての有識者懇談会を設置したり、市議会は特別委員会を開催するなど、当初は「ものづくり系学部」、二〇一八年からは「地域創造デザイン学部」の開設を前提にコトは進み、今春の「私立」から「市立」への発展的変換がなされた。

 そうした十二年に及ぶ経緯も、議論の積み重ねも、ぜーんぶどこかへすっ飛ばして、突如として「地域創造学部」「まちづくりプランナーコース・アントレプレナーコース」なる名称が出てきたのである。

 三上隆・学長によれば、学部名から「デザイン」の文言を外した理由は、簡単に言えば、「デザインという言葉では入学希望者は集まらないから」だそうだ。

 三上学長の経歴を見ると、一九七二年に北海道大学工学部土木工学科を卒業して北大の大学院に進み、北大の土木工学の先生になった。トンネルの研究者。およそデザインの分野とは無縁。この方にデザインの新学部をつくれ、と言う方が無理なのだ。「デザインでは学生が集まらない」とか何とか理屈を言うが、違う。本音は「土木を教えるヒトなら弟子やら知り合いやらいるが、デザインを教える先生は一人も知らないし、集められない」なのだ。それはそうだろう、半世紀もトンネルの専門家として飯を食ってきたヒトなんだから。

 この人を新生・旭川大学の学長にしてしまった時点で、ものづくり大学市民の会や旭川市、市議会が求めた「デザイン系」の学部新設は、なくなったのだ。いささか乱暴な私見を書いたが、大きくは外れていないと思う。

 また、三上学長は「デザイン」の文言を削除した理由の一つとして、旭川キャンパスを閉鎖した東海大学の芸術工学部・くらしデザイン学科の「失敗」について何度も言及した。それがあるから文科省も新学部・学科の名称に「デザイン」の文言が入るのを忌避する傾向がある、というニュアンスの発言である。その推測は事実なのか? 「くらしデザイン学科」に学生が集まらなかったのが、東海大学旭川キャンパス閉鎖の大きな要因だというのは。私が持っている情報では、授業料が他の私立大学に比べて高かったことと建築学科の不振が旭川撤退の主な理由ではないか、というのだが。事実はどうなのか。
 以下、札幌で新学部の開設に関わった経験がある元大学教授の話。

 

(工藤 稔)

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