ネクタイは優佳良織と決めている。というか、優佳良織しか締めない。理由がある。創始者の木内綾さん(一九二四―二〇〇六年)の一人息子、優佳良織工芸館の館長を務めた木内和博さん(二〇一六年に七十歳で死去)の恩を忘れないため。恩知らずの自分に対する戒めだ。

 あさひかわ新聞は、一九九二年秋に廃刊になった地元日刊紙の残党を中心に翌年七月に創刊した。資金も、人脈も、何もない、ゼロからの出発だった。当時、私は四十一歳、まだ髪がふさふさしていた。元気だった。

 その創刊準備の時代に、力を貸してくれたのが木内和博館長だった。事務所としてお借りしていた、昨年亡くなった地域誌・北海道経済の前社長・西田勲さんの旧宅を木内さんが雪をこいで訪ねて来てくれたときの光景を今でも憶えている。「本当に、来てくれたんだぁ…」。木内さんがいなかったら、あさひかわ新聞は間違いなく、生まれなかった。

 時代はバブル経済の末期。まだ拓銀も、北野組も健在だった。二〇一七年に優佳良織が破綻した後、放漫経営だとか、政治的に動き過ぎだとか、公私混同だとか、いろいろ批判する人もいたが、私にとって、あさひかわ新聞にとって、木内さんは絶対の恩人なのだ。だから、僕は三・六街のお姉さんからいただいたネクタイには目もくれず、傷みかけた優佳良織のネクタイを締め続ける。

 その優佳良織の話をしよう。優佳良織工房が九月から、忠和五条七丁目に移転して、展示場を併設して営業を始めた。一九六二年に木内綾・織元が創設し、北海道を代表する伝統工芸へと発展させた優佳良織の技術を次代に引き継ぎ、後世に遺そうと、生前の木内館長と親交があった高嶋良樹さん(60)が、織りの技術を持つ職人らとともに工房を立ち上げて五年になる。

(工藤 稔)

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