旭川ゆかりの詩人小熊秀雄(一九〇一―四〇)の名を冠した文学賞の運営に少々関わっている。小熊は貧苦の少年時代を道内各地やサハリンで過ごした。一九二二年(大正十一年)、三歳で別れた八歳年上の姉ハツがいる旭川で、旭川新聞社に記者見習いとして職を得たことが、その多彩な才能を開花させる転機となった。現在の週刊「あさひかわ新聞」とは何の繋がりもないのだが、不思議な縁と経緯で、弊社の二階の空き部屋に小熊秀雄賞市民実行委員会の事務局を置いている。

 以下、先週も登場していただいた第五十五回小熊秀雄賞の受賞詩人、アイルランド在住の津川エリコさんとのメールのやり取りを。

 ――津川さま
 イスラエル―パレスチナ戦争は、日本では別世界の出来事のように受け止められている感じですが、地理的にも近いアイルランドでは、当事者感があるのでしょうね。
 了解をもらった津川さんからのメールを引用させていただいたコラムの原稿を送ります。すみません、おかしな内容だと笑ってください。
 先日、運営委員が集まって、あまりに乱雑な、あさひかわ新聞二階の「小熊舎」の清掃をしました。昨年の応募詩集の包装材など山ほどのゴミを片付けました。で、見覚えがあるような、ないような紙箱を見つけました。開けてみると、常磐公園にある小熊秀雄の詩碑の碑文と年譜の原稿、かつて小熊賞受賞者に贈られた盾に飾られた小熊の顔のレリーフが入っていました。一九六七年五月二十八日に行われた詩碑建立の記念式典のプログラム、合わせて編集された『小熊秀雄 その人と作品』と題する小冊子もありました。
 記憶をたどると、何年か前に、年譜を揮毫した書家の塩田慥洲さん(一九〇七―二〇〇二年)の息子さん、元小学校教員で植物研究者の知人(87)から託されたものでした。「おやじの遺品の中にあったけど、小熊の関係者が所蔵していた方がいいと思う」とのことだったような…。たまたま運営委員の一人、文学資料館の学芸員・沓沢章俊さんがいたので、資料館に所蔵してもらうようお願いしました。
 冊子には、壷井繁治、中野重治、武田泰淳、野間宏ら小熊と親交のあった著名な文学者のほか、妻つね子の「秀雄のこと」と題する小文も掲載されています。小熊の死から二十七年の時点ですから、どの人の小熊への追悼文も、いかにも生々しい印象です。聞けば、文学資料館は三冊所蔵しているとのことなので、この小冊子だけは、私の手元に残しておきます。(中略)
 会社の前の歩道のプラタナスが大きな葉を落として、今朝、社員が落ち葉拾いに汗をかいていました。雪の季節も目の前です。そろそろ冬タイヤに取り替えなければ。(後略)

 ――工藤さま
 「直言」読ませて頂きました。塩田先生の名を聞いてびっくり。やはり東高(私たちは当時はトン校と言っていました)で書道を習いました。選択の授業だったと思います。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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