元旦の早朝、娘に誘われて、嵐山の展望台に登った。日常の怠惰極まる生活に鑑み、せめてご来光に手を合わせなければ新しい年はろくなことにならないだろう、と彼女が言うのだ。

父娘に同行してくれたのは、嵐山ビジターセンター代表の出羽寛・旭大教授。前夜の大晦日から元旦の午前二時まで自宅で飲んでいたと言う彼と、畏敬する先輩諸氏に誘われるまま雀卓を囲んで…、やめよう、とにかく午前三時過ぎまで不良していた私は、かんじきを履いて北邦野草園から登り始めてすぐに息を切らせる始末だったが、昭和五十年代生まれの娘はさすがに元気。最後まで、先頭に立って雪をこぐ役を務めた。

そんなこんなで、予定では午前七時四分の初日の出を拝むはずが、展望台に到着したのは八時少し前。あたりはすでに明るくなってはいたが、幸いにも薄く雲がかかった太陽を見ることができた。還暦まであと二年という歳になって、低山とはいえ、山の上で初日の出に手を合わせたのは初めてだった。

その帰り道、大型ショッピングセンターの前を通ると、店の入り口に行列する人の群れ。娘と、元旦の朝から何を買うんだろうね、元日くらいお店は休みにすればいいのに、などと話しながら、おせち料理で朝から一杯できるのを楽しみに自宅に向かったのだった。

子どもの頃、もらったお年玉は元旦には使わなかった。いや、使えなかったと言った方が正しい。集落に雑貨屋が一軒か二軒しかなかった田舎育ちの私の場合はもちろんだが、旭川生まれの友人や東京生まれの家人の話でも、元旦には店が開いていなかったし、開いていたとしても「元旦からお金を使ったら、その一年お金が出てゆくことになるから」との言い伝え、習わしで、子どもだけでなく大人も買い物など決してしなかった、と言う。

私たちの社会が、「非日常の特別の日」という意識を捨てて、こんなにだらしなくなったのは、いつの頃からだろう。少なくとも、私が東京で暮らしていた昭和五十年代までは、元旦の街には初詣の人の姿があるだけで、福袋を手に電車に乗り込むなどという光景は皆無だった。日本の文化だの、郷土愛だの、伝統だの、言ってしまえば愛国心なんてものは、こんな節度のない、年がら年中ダラダラと、好きな時間に買い物したり、お金を使える、スーパー便利、怠け者を助長する社会になど芽生えるはずもない、そう思う。

法律で規制すればいい。商売をしてはいけない日を。本紙に隔週で連載している「スイスからの手紙」の大久保ゆかりさんによれば、彼の国では、パン屋さんが店を開くことが出来る曜日、時間まで法律で決められているというではないか。むろん、二十四時間営業のコンビニなんて、無い。そのスイスが、個人消費が低レベルで経済状況が日本よりも悪いかと言えば、決してそうではない。消費の質、生活に対する感覚、もっと言えば、それこそ伝統文化を重んじ、守り続けるという意志が、国民と為政者の合意としてある、ということだ。例え、多少の不便、かなりの不自由があっても、だ。教育基本法に「愛国心」という言葉を入れるか入れないかなんて、いわば屁のような論議ではないの? 枕はここまで。

貧しい国民が頂戴する予定の総額二兆円の定額給付金。「矜持」などという、漢字が得意な総理大臣らしい、なかなか難しい言葉まで使って、「裕福な人が一万二千円ちょうだいと言うのはさもしい」と言っていた麻生さんが、その見解を変えたらしい。

心配なのは、仮に、自民・公明の連立政権の選挙対策費なのかどうか知らないけれど、そのお恵みが全国にばら撒かれることになったら、住民基本台帳に記載されていないであろう、いわゆるホームレスの人たちは、その一万二千円なり、二万円なりを手にすることは出来ないのか。さらに、年末年始を「派遣村」で過ごさなければならなかった労働者たちは、その恩恵にあずかれるのか、ということ。前週も書いたが、契約先の工場の寮を追い出された瞬間に、住所不定・無職にならざるを得ない人たち。ボランティアの炊き出しに頼らなければ、その日の食べ物にも事欠く人たち。国の援助を最も受けるべき立場の人たちに、定額給付金はちゃんと届くのか。

その派遣労働のあり方を含め、どう考えても、その二兆円、まともな使い方をすべきだと思えるのだが、この国の政治、元旦の初売りと同じレベルで、狂ってる――。

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