黄金色に色付いた稲が、半分以上も倒れてしまった。実入りの良い稲穂の重さと、背丈が必要以上に伸びすぎたためらしい。その田んぼに穴を掘って、十八本の「はさ」を立てた。

 今年も、友人の農家にお願いして、一反四畝の田んぼで米づくりを体験している。田植え機も、除草剤も、コンバインもなかった時代、米という字はお百姓さんが八十八回手をかけたという意味だと教えられ、ご飯を粗末にしたらバチが当ると叱られた遠い記憶を思い起こしながら、出来るだけ機械に頼らず、春先から種まき、田起こし、田植え、畔の草刈りなどの農作業の真似事をさせていただき、いよいよ稲刈りだ。

 六月の異常な低温から一転、長期予報は見事に外れ、七月、八月と蒸し暑い日が続いた。試験刈りの結果、米の出来は「やや良」らしい。はさを立てるために一部刈り取った稲束は、確かに去年よりも重く感じた。去年は、六十キロ一俵と計算して、十一俵の米を収穫できた。さて、今年は何俵とれるか。

 倒れた稲を一株一株鎌で刈り取るのは、骨の折れる作業になるだろう。きつい労働の先に、お日様と土の恵みを詰め込んだ、天日干しの新米が待っている。はさ木を担いだ肩の痣を撫ぜながら、還暦を一年後に控えた歳になって、食べ物を獲得する行為の原点が少し分かった気がする。枕はここまで。

 先日、あるシンポジウムのような集いが終わってから、司会や発言者を務めてくれた方たちと軽い飲み会になった。集いの話題の中に「地元産」とか、「地元のお店」というキーワードがあった。飲んでいたのが、地元産の酒造好適米で醸した日本酒「風のささやき」ということもあったのかも知れないが、酔いが回るにつれて、話はその方向に進み、次第に大胆になった。酔った上のホラと言ってしまえばそれまでだが、酒の上だからこそ湧き出る、常識を超えた、凡庸ではない発想というものがある。まぁ大抵は、酔いが覚めたらすっかり忘却の彼方、という例が多いのも事実ではあるけれど。

 「オレ、イオンに行ったことない」だの、「アマゾンで本を買ったことがない」だの、「自慢じゃないが」という前置きをしつつ、自慢話を披瀝していると、やにわに一人が言った。「市役所の職員三千人がインターネットで買物をしなくなったら、きっと、旭川のお店がかなり潤うと思うけどなぁ」。

 その発言を境に、話は「覚悟」という、何やら形而上的なテーマになった。失礼だが、焼き鳥屋で日本酒のコップを傾けているこの面々は、年齢は四十半ばから七十代までかなりの開きはあるが、多分、経済的事情は私とそれほど変わらない、と思う。確かめたわけではないが、それぞれの家庭のエンゲル係数は、あくまでも高め、似たり寄ったりだろう。いわゆる富裕層では決してない。その面々が、口をそろえておっしゃる。「たかだか数百円、ものによっては数千円安いからと、ネットで何の縁もない店や人からは買わない、意地でも地元の店を使うんだ、という覚悟を持たなきゃなぁ」と。

 そんな話を聞きながら、酔いが回った頭の隅で、自らの買い物や飲み食いについて考えていた。地域紙を発行している仕事柄、当然のこととして意識していないわけではないけれど、簡便さを優先してはいないか、わずかな値の違いに右往左往する根性を持ち合わせていないか、と。そんな意地を張るから、お金が貯まらない、いつも懐は寒々しい、確かにそうだ…。

 数日前、高知の友人から温室みかんが届いた。家人がお礼の電話を入れると、「日本一おいしいみかんだから、味わって」と、いつもの明るい口調で言われたと聞かされた。冬、トマトを送ってもらった折にも、「高知のトマトは日本一よ」と、野菜どころ・旭川の私に向かってあっけらかんと言い放ったものだ。その中玉トマト、一個百円以上もする高級品なのだが、地元の人は、好んでそのトマトを食べるとも聞いた。“十勝モンロー主義”とは対照的に、開放的で、お人好し、来るもの拒まずの旭川人に欠けているのは、その全く主観的で強烈な郷土意識なのではないか、そう感じる。

 さて、市役所の全職員に対して、市長がネットで買い物禁止命令を出したら、どれくらいの職員が忠実に従うのだろう…。

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