小欄は五月三十一日号の後、三号休載しました。少なくない読者から、「どうしたの?」などの問い合わせが届いたと聞きました。ありがとうございます。そして、申し訳ありません。乱脈な生活が祟ったのでしょう、今月三日から入院しておりました。

 何かの参考になるかもしれません。入院から手術、今後の治療計画について記し、久しぶりの小欄に代えたいと思います。

 今年秋で七十一歳になる。数年前から、丈夫なだけが取り得だった身体にガタが来はじめた自覚はあった。筋肉の衰えは、重いモノを持ち上げるときにはっきり分かる。例えば、友人の農家に譲ってもらった三十㌔のコメ袋を運ぶときに。

 五月になった頃から、胃の調子が何となく良くなかった。しばらくぶりに胃カメラでも飲むかと考えて、かかりつけの医師に相談した。高血圧の治療薬を処方してもらうために定期的に受診している医師は、胃腸科の専門医院を受診するよう勧めた。

 一週間ほど後、検査を受ける覚悟を決めて、教えられた予約電話の番号にかけた。住所とか、名前とか、生年月日とか、いろいろ質問を受けて(この過程で何度かイライラする状況があった)、受診する日と時間を決めた。最後に、「飲んでいる薬は?」と質問された。手元に「お薬手帖」を用意していたから、何種類かの薬の名を挙げた。すると「その薬を飲んでいると、胃カメラでポリープが見つかったときに切除できない。かかりつけ医に、薬の服用を止めてよい期間を聞いてきてください」と、その看護師らしき者はのたまう。

 「それなら、最初に服用している薬を聞けよ」。我慢強い私も、さすがに切れた。「もう、いいわ」と電話を切った。ほどなくして、その病院の関係者、おそらくくだんの看護師の上司らしき二人の者から立て続けに電話があった。「申し訳ありません。こちらの間違いです。その薬を服用していても、検査は受けられます。どうか予約をした日時に来院してください」と、平身低頭の謝りようである。

 「申し訳ないけれど、せっかく決心して電話をしているのに、受診されては困る、みたいな対応ではないか。電話予約のポジションに配置する人は、考えたほうがよろしいと思う」旨を伝えて、受話器を置いた。

 気持ちが落ち着いた数日後、再びかかりつけ医を訪ねた。彼は「混んでいるかもしれないが、間違いないから」と、あるクリニックに紹介状を書いてくれた。そこで、胃カメラ検査を受ける日時を決める前段のエコー検査を受けた。名医と評判が高いという医師は、繰り返しお腹の映像を映し、診察台の私にも見せて、「何かある。CT検査を受けなさい。もしかすると動脈瘤かも知れない」と総合病院に行くよう指示したのだった。

 翌朝六時から会社で仕事をした。午後には戻る予定で、午前八時、紹介状を手に病院の受付に並んだ。受診したのは字を見るだに震えあがる「心臓血管外科」。CT撮影を終えて外来待合に戻ると、“横入り”で担当医に呼ばれた。診察室に入った途端、車イスに乗せられた。医師の宣告は、胸から腹にかけて三カ所に大動脈瘤がある。即入院、歩行禁止、絶対安静。処置については、追って沙汰する、そんな感じ。

 HCU(高度治療室)なるところに入れられた。病気の原因が血液中に入り込んだウイルスによる大動脈の瘤ということで、一日三回、高濃度の抗生剤の点滴。二十四時間、心電図のモニターを装着され、トイレに行くにも看護師に押される車イスである。

 五日後、一般病棟に移った。カーテンで仕切られた四人部屋。そうそう、食事は予想以上に美味しかった。ご飯は、小さめの丼(どんぶり)いっぱい。二百㌘だそうだ。ご飯に比しておかずの量が少ないのが難点であったが、「手作りシュウマイ」「ざんぎ」「手作りハンバーグ」など、ありがたくて、もったいなくて、ご飯の残量を計算しながらチマチマ食べた。

 十三日午後一時から、カテーテルによるステントグラフト(人工血管)の手術を受けた。全身麻酔をされてから約二時間後、目覚めたときには病室にいて、点滴と尿管につながれ、酸素マスクを装着されていた。オチンチンに差し込まれた管の違和感たるや、経験者に話は聞かされてはいたが、あれはもう、たまりませんなあ。尿管はその日のうちに抜いてもらい、二日目には、点滴も、心電図も外されて、自由の身。一週間後、CT撮影で、医師に「手術は一〇〇%成功でしたよ」と報告を受け、翌日退院した。

 この後、二回の手術が控えている。二回目は前回と同様のカテーテルによるステントグラフトの留置手術だが、三回目は瘤の場所が悪いとのことで、開腹し人工心肺を使った大がかりな手術になりそうだ。

 退院する前からリハビリの訓練を受けた。もちろん七十歳という年齢もあるのだが、十八日間、ベッドで生活をした身体は筋肉が落ちて、動きもさらに緩慢になっている。自覚できるほど体力が減退している。主治医は、年内にあと二回の手術を終わらせる計画のようだ。

 ということで、小欄はしばらく、原則としてお休みすることをお許しいただきたい。読者諸姉諸兄の健康を祈念して。
二〇二二年六月二十五日
工藤 稔

(工藤 稔)

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